劇場からの失踪-映画批評ブログ

映画をこよなく愛するArchによる映画批評

加害者と被害者しかいないこの世界で『許されたこどもたち』劇場映画時評第18回

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子供を殺した子供は許された

憎悪と嫌悪が"加害者"と"被害者"しかいない世界であることを思い出させてくれる。

この映画に俯瞰はない、誰もがあの世界の住人だ。

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題名:『許されたこどもたち』
製作国:日本
監督:内藤瑛亮監督
製作年:2020年

 

 

 最初に

「川崎市中一男子生徒殺害事件」を皆さんは覚えているだろうか。私は忘れていた。2015年冬に起こった少年3名によって友人の少年が殺害、遺棄された惨たらしい事件は当時日本を叫喚させたが、ニュースで見ただけに過ぎない自分にとって、他の多くの大事件同様に頭の隅に追いやられてしまっていた。皆さんはどうだろうか。

本作は『先生を流産させる会』などで少年少女の社会問題に向き合ってきた内藤瑛亮監督によって、8年もの歳月をかけて構想された作品で「山形マット死事件」や「川崎市中一男子生徒殺害事件」を連想させるもので、"いじめによる少年犯罪"をテーマにした作品であり、かなりショッキングな作品になっている。

ポスターの問いかけのように絶え間なく問題提議してくる決して他人事ではない世界の物語を批評していきたいと思います。

一幕:少年法の脆弱さ

本作は綺麗に三幕構成に分かれておりそれぞれにテーマがある。一幕目は「少年犯罪の被害者と加害者」を描いている。これは作品全体のテーマでもあり、特に今幕では裁かれない少年に焦点を絞っている。

この映画は5人の不良少年グループで日常的ないじめがエスカレートしていき、リーダーの絆星がついに同級生の倉持樹を殺してしまうところから始まる。

軋む金網の音、街の喧騒から外れた場違いな自然が不吉な空気、加害者の無垢な破壊衝動。それら全てが憎悪と嫌悪を助長し、最悪の結末を予感させるものになっていた。

加害者"絆星"は警察の聴取で犯行を認めるが、急遽犯行を否認してそのまま「不処分」となってしまう。ここで炙り出されるのは「少年法の脆弱性」だ。

加害者に対して甘い少年法の側面を執拗に描かれるため、知識のないものにもその"違和感"が浮き彫りになるのだ。例えば、「付添人」「非行」「少年審判」などの事件に対し明らかにスケールダウンした"少年"向けの言葉。また同じ"命"についてその罪を問う場所にも関わらず、裁判所ではなく会議室のような部屋で行われることが最も象徴づけているだろう。それらの"違和感"は被害者遺族への不誠実さと侮辱にしか映らない。そして加害者にとってもその"違和感"の末に不処分となり、"己の罪"と向き合わずに終わることは決して明るい出来事ではない。

少年法の存在価値を見失うように、憎悪を掻き立てるように、描くことでこの一幕では少年法の甘さが生んだ"報われない遺族""罪と向き合えなかった加害者家族"の両側を映し出している。

 

二幕:加害者と被害者しかいない世界

少年法によって見逃された悪童"絆星"への憎悪が観客の中で最高潮に膨らんだ一幕。続いて二幕では転校を余儀なくされ、やり直そうと素性を隠した"加害者家族"の苦悩を描き出していく。

まず世間は不処分で罰を免れた"少年"を特定し、バッシング。掲示板やSNS等のいわゆる"ネット表現"で世間の憎悪を浮き彫りにし、隠した素性もいつかはばれてしまい、自らを”正義”とする者達による加害者への攻撃が始まる。

余談だが、ネット表現における画面上に出る"文字列"の演出が非常に良かった。ネット文化の普及につれ"ネット表現"は幾度も映画,アニメなどで行われてきましたが、これまでで一番"悪辣"不快感を掻き立て、文面も"リアル"なものになっていた。内田監督は出演する中学生たちとワークショップを行い、本作の問題についてしっかり考え、認識を共有したうえで撮影を行うなど"現実"を映すという点で非常に徹底されているので、こういったネット表現はかなりのリサーチ故にあるのだろう。

 

閑話休題。この"加害者を攻撃するという構図"は加害者へののようなものを生み出す。しかし、先ほどまでの"一幕"で加害者家族に感じていた嫌悪や憎悪、そういった「加害者には何をしてもいい」と責め立てる感情が彼ら"加害者を攻撃する"側と重なってしまう。まるで画面を流れるネット表現"の文字列は先程までの感情を代弁するが如く、また攻撃する自らの醜さを露呈させるものになっている。

つまり視点が切り替えられて加害者と被害者の関係が新たに更新されて、新たな加害者と被害者の関係が構築される

二幕の舞台は主に中学校生活だ。前述したワークショップのような授業風景を中心に話は進んでいくが正に"地獄"だ。"地獄"を連想させるのは浅はかな意見と幼稚ないじめの現状に対してではなく、かつての体験や自らの浅はかさを重ねてしまうからだ。その”既視感"”は「ああいううざいやついるよねぇ~」で済ましていい領域を逸脱している。(実際に劇場を出るときに聞こえた言葉)

この物語は決して"俯瞰"で観ることを許さない。我々はスクリーンの向こうの世界で生きている。自分は常に加害者であり被害者であるという事を思い知らされるのだ。

 

三幕:罪と向き合う

二幕で書き漏らした重要なキーパーソンがいる。それは転校先でいじめの対象にされていた桜井桃子という女子生徒だ。彼女は絆星にとって唯一の救いと言える存在であり、観客にとっても凄まじい負の感情の奔流の中で唯一、心の休められるところだとも言える。徐々に互いに心を許しあい、日常を取り戻していくように絆星の中で何かが変わっていく。桃子は「絆星が苦しそう」だといい、被害者遺族のもとに謝りにいこうと提案する。

何かが解決するような、この負の連鎖が終わるのではないか、というメタ的な経験則でそんな展開を予感する。しかし、ここで解決するような生易しい映画でないことは皆は痛感しているはず。何故解決しないのか、それは被害者遺族の母親が本作には珍しく問題提議ではなく、決定的な事実として言い放つ。

「貴方はまだ樹の眼を見れないのね。貴方、何に謝っているのか分かってないんでしょう。ちゃんと"自分の罪に向き合いなさい"」

毎度の如く、一語一句あってるわけではないのでニュアンスだけでも伝わればと思うのですが、つまりは罪に向き合わずにここまで来てしまった絆星には"何"に謝ればいいのかが分かっていないのだ。

自分を苦しめる感情に終止符を打てると思い、被害者宅に訪れた彼は自分の浅はかさを露呈させられる。終わるはずがまだスタートラインにすら立てていない。彼はどこか自分の悲惨な現状のせいで"被害者"だと錯覚してしまったのではないか。

 

そこから豹変するように怒りを旧友にぶつけ始める。未だにいじめを続ける様に過去の自分を見て怒る。自分より正しく、ずっと前から罪に向き合っている姿に苛立ちを覚える。先程の被害者の母の言葉に逆上する。それらの怒りは劇伴が加速すると共に溢れだす。映像は彼の怒りの発露を暴力的に、そして作中で最も綺麗に描き出す。頭からは砂か煙のようなものが溢れだし、彼のぶつけようのない衝動を見事に描き切っていた。しかしこの"描ききった"ような演出にすら巧妙な罠がある。

 

そこから幾ばくかの時が経つ。絆星が母真理の元を離れている間に、"正義"を語るyoutuberに襲われて、そんな母真理が退院し一緒に食事をとる。

綺羅はある夢を見たという。夢占いによるとそれは「再生」を意味するそうだ。彼は膿を出し切ったようなに晴れやかな表情を浮かべてこの映画は終わりを迎える。

まるでいい話のようだ。しかし彼は本当に罪と向き合ったののだろうか?

ただ罪を忘れただけではないのか。一切の描写がなく怒りの発露で出し切ったように思わせたためか、彼は変わったように見えるが、向かいに座る母真理の表情が全てを曇らせる。

かつてなく不穏であり、問題提議を絶え間なくしてきた本作であるからこそ、このラストが相応しいとどこか感心する自分がいた。

最後に

映画において感情移入出来るか否かが議題に上がることがよくある。それが作品の出来に繋がるかといえば、個人的にはNoであるが、今作はその浅はかな映画への"共感"を揺さぶった作品でもある。それゆえに非常に振り回されて、しまいには思考停止しそうになる。必要以上に憎悪や嫌悪を煽るように出来ているのも一因であるが、「考えさせられる映画だった」「胸糞悪い映画だった」「可哀そう」など、そんな風に逃げそうになったのだ。

しかし繰り返すがこれは俯瞰していい映画ではない。アッチの世界の物語だと思考を止めていい作品ではない。

 

ここに描き切れないほどの"問題"が今作に散りばめられている。自分は何故被害者宅にまで落書きがされているのかパンフレットを読むまで分からなかったし、警察の自白便りの事実認定が冤罪を生みやすくするだけでなく、「許されたこどもたち」を生んでしまうことを初めて知った。

そんな我々がまだ理解していないような"イジメ"から始まる多くの問題と大きすぎる"余波"を全て描き切っている。「エレファント」や「キャリー」など"イジメ"やスクールカーストを描いた作品は多くあれど、ここまで身近で問題を総括した作品は存在しないのではないか。敢えて誤解を恐れずに言葉にするなら、「”イジメ”映画の決定版」だと私は思う。

まだ書けていないこともあるが(じつはこの大量の問題提議を破綻させないように的確な演出が為されている、なんてことも書きたい)今回はここまで。

 

この記事を思考停止せずに"向き合った"証明としてここに残したい。是非皆さんもこの映画に向き合ってみてください。