劇場からの失踪

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『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』劇場映画批評134回 全て"運命"から抗う

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題名:『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』
製作国:アメリカ

監督:ホアキン・ドス・サントス ケンプ・パワーズ ジャスティン・K・トンプソン監督

脚本:フィル・ロード クリストファー・ミラー デビッド・キャラハム

音楽:ダニエル・ペンバートン


公開年:2023年

製作年:2023年

 

 

目次

 

あらすじ

マルチバースを自由に移動できるようになった世界。マイルスは久々に姿を現したグウェンに導かれ、あるユニバースを訪れる。そこにはスパイダーマン2099ことミゲル・オハラやピーター・B・パーカーら、さまざまなユニバースから選ばれたスパイダーマンたちが集結していた。愛する人と世界を同時に救うことができないというスパイダーマンの哀しき運命を突きつけられるマイルスだったが、それでも両方を守り抜くことを誓う。しかし運命を変えようとする彼の前に無数のスパイダーマンが立ちはだかり、スパイダーマン同士の戦いが幕を開ける。

引用元:

eiga.com

※以降ネタバレあり

 

運命に抗う物語

本当に素晴らしい。観たいものを超えてきた。
アフターNWHの今、「運命に抗う物語」を本気で描こうとする姿勢に感動してしまった。
この場合における"運命"は広義的だ。
大人が私はお前よりも人生や社会を知っている、だからあれこれしなさいという説教。
物語におけるクリシェ、定番の展開、つまりはスパイダーマンとは"こう"であるという固定概念。
社会性によって蜃気楼のように立ち上がる倫理観や道徳。


多岐に渡るそれらは、全てが人に思考停止を迫るのだ。本作においてもグウェンの父親は、耐えきれない状況を定型的な仕草(逮捕時のマニュアル的な口上)によって思考を放棄する。そんな彼が警察を辞め、娘に向き合おうとする後半の展開にも、そういった思考停止を誘発させるものから抗う物語なのだと読み取れる。
一応言っておきたいが、この作品における"運命"はNWHのスパイダーマン故の宿命とは本質的に違う。なぜなら、あの作品におけるそれは、起こってしまった後のセルフケアの文脈で語られるからだ。
それに対し、本作ではまだ生きている愛する家族と世界を天秤にかけて「諦めろ」と言うのだ。
そんな"運命"抗うに決まってんだろ。

 

スパイダーマンの持つ"運命"の説得力を利用し、そしてそこから踏み越えて過剰に描く

本作が巧妙だと思うのは、この運命の扱い方にある。一つはその嫌なまでの説得力だ。
多くの観客が実写や漫画、アニメを通して『スパイダーマン』というキャラクターを定義する幾つも要素を理解している。ファンであればあるほど、それは仕方がないこと(スパイダーマンなら当然受け入れるべきだし、それがないならスパイダーマンじゃないとまで言うだろう)。
それを本作はカノンイベントと名付け、それを履行しないと世界は滅ぶというのだ。自分も正直最初は納得がいってしまった。特にNWHという事例や前作が"スパイダーマン"というアイデンティティについて通して、1つのコミュニティで成長していく話だったから。

しかしそれに対して本作は過剰なまでに論理の飛躍をする。まずスパイダーマン中心主義的な世界観の構築。何故スパイダーマンのカノンイベントが不成立だと世界が滅ぶのか、あまりに突拍子が無さすぎるという部分がその前提の不信感を募らせてくれるのだ。
至ってシンプルに考えて、その"カノンイベント"という考え方はおかしいし、それはある意味スパイダーマンというアイデンティティに囚われた人達が「自分」に固執した結果だと取れる。そこには全ての人に"物語"があるのだという視点が欠けている。

それが次作のキーになるのだろう。他にもキーとなるような描写は沢山ある。グウェンの父が"署長"じゃなくなったことの示唆なんかがそうだ。というかそもそもグウェンという存在がカノンイベントの脆弱性を象徴しているような気がしていて、グウェンって多分ほとんどのスパイダーマンにとって「死」のカノンイベントなはずで、それが彼女にとってはピーターだったのか、別の人で成り立っているわけで。以外とそこに拘束力がないように思う。

 


そう考えるとシミュレーションをして、カノンイベントを予期、またカノンイベントの説明をしていたライラがクソ怪しい。あいつだけスパイダーマンじゃないのにあの場にいるし、ゴーホームマシンで邪魔をする仕草をしていたし…。

ともあれ、そういったスパイダーマンの持つ"運命"の説得力を利用し、そしてそこから踏み越えて過剰に描くことで、その論理の脆弱性を暴き、ぶち壊してやろうという話に感服したのだ

 

またその描き方も最高で、1vs多数の構図がやっぱりスパイダーマンは似合う。全ての"先輩スパイダーマン"を一網打尽にして、クソ喰らえと逃げ切る姿が本当に素晴らしかった。そんな彼に最初から期待して、手助けするANARCHYなスパイダーパンク、嫌いなやつ存在するのか?

そして彼の選択を無条件に肯定する母の言葉。愛されていることを忘れないで、故郷はどこにあるのかを忘れないでと語りかける言葉がこのマルチバースを扱った作品で、確かな居場所を提示していた。

 

グウェンについての描写も素晴らしかった。デートシーンも良かったし、アニメーションの面白さも数多あるタッチの中でも1番だった。

まだまだ語りたいが、これぐらいにしておく。
とにかく想像以上の出来だった。