劇場からの失踪

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『アントマン&ワスプ:クアントマニア』他にも…… 他には特にないか… 劇場映画批評114回

題名:『アントマン&ワスプ:クアントマニア』
製作国:アメリカ

監督:ペイトン・リード監督

脚本:ジェフ・ラブネス

音楽:クリストフ・ベック

撮影:ウィリアム・ポープ

美術:ウィル・テイ
公開年:2023年

製作年:2023年

 

 

目次

 

あらすじ

「アベンジャーズ エンドゲーム」では量子世界を使ったタイムスリップの可能性に気づき、アベンジャーズとサノスの最終決戦に向けて重要な役割を果たしたアントマンことスコット・ラング。ある時、実験中の事故によりホープや娘のキャシーらとともに量子世界に引きずり込まれてしまったスコットは、誰も到達したことがなかった想像を超えたその世界で、あのサノスをも超越する、すべてを征服するという謎の男カーンと出会う。

引用元:

eiga.com

※以降ネタバレあり

シリアステイストにしてどうするんだ

本作の予告編を観た時「違う、そうじゃない」と強く思ったのをよく覚えている。何故ならアントマンシリーズはMCUにおいて唯一「普通の人」の話が出来るシリーズであったし、能力よろしく"ミニマム"な視点で家族や日常の話を展開できたシリーズだった。同じテイストで言えば『スパイダーマン CH』や『スパイダーマン NWH』もその括りに入れられるが、三作目にしてMCUの大きな潮流に飲まれていってしまったわけで(それを悪いこととは思っていない)、本作も同じく飲まれてしまったと思うと、昨今のMCUは"日常"を描くシリーズは必要ないと考えていることを思い知らされる。
確か監督がソーシリーズにおいて『ソー ラグナロク』のようなシリーズのテイストを一転させたような作品にしたいとして本作をシリアスにしたそうだが、それは『ソー ラグナロク』のテイストがMCUにおいても異質だったからこそ成功したのであって、例外的な日常コメディー感があったアントマンシリーズをMCUの典型的なシリアステイストにしてどうするんだと呆れてしまう。
まぁそのMCU世界の日常を(ドラマ以外で)見たいんだけどな、という思いをひとまず置いたとしても、やっぱり本作は酷い。
『ソー ラブアンドサンダー』以来の拒否反応だ。
拒否反応の原因は大きく分けて3つ、そして悪くない点をちらほら挙げたい。

 

世界観"量子世界"について

1つ目は今回改めて提示された世界観"量子世界"について。SNSでは『スターウォーズ』やドラえもんといった作品に例えられているのを観るが、確かにその通りであった。SFは偉大な過去の名作に似たり寄ったりすることは決して悪いことでは無い。今回問題なのは、宇宙を題材にしているのではなく量子世界という時間と空間の外側の世界(或いは超ミクロの世界)でありながら、宇宙を舞台にした作品と特に変わらないからである。いわゆる『メン・イン・ブラック』的なミクロとマクロが同列に置かれたSF世界観ということなのかもしれないが、その『メンインブラック』的なビジュアルの面白さと今のMCUにおいて同じようなビジュアルの世界観をもう一つ増やすことの「つまらなさ」を天秤にかけて、本当にそれが正しかったのかをもう一度考えて欲しい。
特に問題なのは、量子世界に住む量子人達だ。彼らはカーンに故郷を征服されて追われた人達との事だが、そこを掘り下げる気が一切ない為、そこにドラマが発生していない。
まず彼らの言う故郷とは?どんぐらいの規模で生き残っていて、どういう人たちなの?という部分が本当に適当にしか描かれておらず、スカスカのエンドゲームの最終決戦を見せられている。エンドゲーム以降のMCUは、大群が「うぉ〜!!」と叫びながら突っ込む作品が多すぎると思っていたがその中でも最悪。
ここでロヅニツァを出しても仕方がないが、ロヅニツァ作品のように"個"を描かなければ、"群衆"は記号でしかないのだ。

 

画一化されたアクションについて

2つ目は画一化されたアクションについて。『アントマン』の持ち味だった極小視点からのアクションに関しては、シリーズを進めるにつれて極大アクションになっていって、まぁそれも悪くはないのだが、自分が問題だと思ったのはカーン付近の戦闘シーン。
戦闘シーンにおいて、ふたりが戦う理由、どういう状況下で戦っているのか、2人の得意な戦法や弱点はどこなのかといった要素がその戦闘にディティールをもたらすのだが、本作はそこがとにかくやる気がない。
カーンのビームは、相手を消し飛ばしていたが、何故アントマンに直撃しても消し飛ばないのか。またワープやサイコキネシスっぽいやつとかも同じ能力由来のものなのかを説明されない。
そういった描写不足は、カーンが強いのか弱いのかと分からなくしているし、そもそも戦闘の緊迫感を一切なくしてしまっている。
アントマンの戦闘については、新しいものが見れたとは言い難い。褒めたいところもあるにはあるが、それは後述したい。
ディティールの欠く戦闘と記号的な群衆はクライマックスを全く演出できていない。アクション映画は名乗れないでしょこれ。

 

コメディー及びストーリーについて

3つ目はコメディー及びストーリーについて。
本作は良くも悪くも何も起こらない。彼らがあちらの世界に行かなければ世界が崩壊する危機(カーンの復帰)もなかったわけだから、現状復帰しただけ。また誰かが成長した、或いは変化したと言えば、特にそれもない。ジャネットがひた隠していたことが明らかになるぐらいか。
ヒーローの娘としてキャシーが正義感に駆られていることが冒頭に提示されながらも、全くそこが量子世界での話に効いてこない。蛮勇で危機的状況になるみたいな話の展開にもならないし、娘が父に認められるみたいな話にもならない。大人になって、同じ力を手に入れても、結局庇護対象でしかないキャシーなのは勿体ない。あと相変わらずホープが髪型の変化以外に類型的なヒロインの域を超えてこないのも問題。
何も成長がない、という意味では前作『アントマン&ワスプ』もそうなのだが、話のテイストが違いすぎる。
カーンに関しては、既出(アメコミ知識があれば尚のこと知ってる)情報しかないので実は、近年でも一番観なくていい作品かもしれない。最後アントマンとワスプだけ量子世界に取り残されたなら、ちょっとは良かったけど、本当に何も起こらなかったというラストにびっくりしてしまった。

 

褒められる所

これから褒められる所をちらほら書いていく。スコットランクの「普通っぷり」は評価できる。「約束破ったろ!」でカーンに突っ込んでいくのは最高だったし、最後カーンと殴り合うシーンの「普通」だからこそタフに殴り合う意味があったと思う。ある意味「普通」さをそのままに話が終わったのは良いところだったと思う。
またモードック辺りも良い。「何になればいい?」という切実な言葉。化け物的な見た目にされて、悪に媚びるしか道がなかった男の悲哀。一番心に来た。
モードックとキャシーの闘いは1作目を想起させて、キャシーの(生物的な)成長がうかがえるのだが、ちゃんとモードックの言葉に返答できたのも良い。

他にも…… 他には特にないか…
ジョナサン・メジャースという常時泣き顔俳優を悪役にしたのはマジでエポックで好きです

これは提案だけど、前作のおバカ3人組も量子世界に連れてきて、カーンの城に潜入するケイパーものに今から変更できないですか??アントマンは肉弾戦よりトリッキーなケイパーものがあってると思うんですよ