劇場からの失踪

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『ブラック・フォン』子供達が子供たちの為に、子供達の力だけで 劇場映画批評80回

題名:『ブラック・フォン』
製作国:アメリカ

監督:スコット・デリクソン監督

脚本:スコット・デリクソン、C・ロバート・カーギル

音楽:マーク・コーベン

撮影:ブレット・ユトキービッチ

美術:パティ・ポデスタ
公開年:2022年

製作年:2022年

 

目次

 

あらすじ

ロラド州デンバー北部のとある町で、子どもの連続失踪事件が起きていた。気が小さい少年フィニーは、ある日の学校の帰り道、マジシャンだという男に「手品を見せてあげる」と声をかけられ、そのまま誘拐されてしまう。気が付くと地下室に閉じ込められており、そこには鍵のかかった扉と鉄格子の窓、そして断線した黒電話があった。すると突然、フィニーの前で断線しているはずの黒電話が鳴り響く。一方、行方不明になった兄フィニーを捜す妹グウェンは、兄の失踪に関する不思議な夢を見る。

引用元:

eiga.com

※以降ネタバレあり

今回紹介するのは、スコット・デリクソン監督の最新作『ブラック・フォン』である。『ドクター・ストレンジ』などで有名な彼は、その続編の監督をする代わりに本作の監督についた。非常にウェルメイドなホラー作品に仕上がっていて、誰にでもおススメできる作品だといえる。

早速語っていこう。

 

子供達が子供たちの為に、子供達の力だけで

 スティーブン・キングの息子、ジョー・ヒルの「黒電話」を原作とした本作は、パパの「it」のようなジュブナイル×ホラーのジャンルミックス作品になっている。
 ただスティーブン・キングの『it』や『スタンド・バイ・ミー』と断固として違うのが、子供達が子供たちの為に、子供達の力だけで、という所にこだわっているところだ。映画版しか観ていないが、『スタンド・バイ・ミー』は、大人になった主人公の回想録としてジュブナイルだ。『it』も同様だが、本作は、その青春が、その恐怖が、"今"である子供の物語であり、子供だけのトラウマ、子供だけの勇気、子供だけの連帯を通して成長し、搾取する悪しき大人を挫く物語にしたのが、シンプルだが見事なところだ。黒電話を媒介として、殺された子供たちと通話ができるというギミックが物語のキーとなって進んでいく。その素晴らしい点は、死者との交流が「死者との会話」という行為が元来持つ恐怖を促す一面と、「彼らは戻っては来ない」という悲哀に満ちたジュブナイルなニュアンスを同時に持っているということだ。死者となった子供たちの考えや行動原理はそれぞれ当然のように違う。何故ならそもそも主人公と関係が浅かったり、敵対していた過去があったから。それでもフィニーと"通話"という形で繋がっていくのは、「奴に報いを受けさせる」という意思で全員が同じ方向を向いているから。死者からの電話は、ジャンプスケアの使いどころでもあり、同じ方向を向きながらも生者と死者の隔たりが恐ろしさを感じさせる訳だが、一方でその恐怖体験は亡くなった彼らが抜け出そうと抗った痕跡や感情として、その部屋を脱出する具体的な情報と共にフィニーに受け継がれていく。その集積が発揮されるクライマックスの流れは、もう完璧で、一つとして無駄になっていない。丁寧に積み重ねることで辿り着くことが出来た高み、最高のクライマックスであった。

最後に

お腹の脂肪がダルンダルンのイーサンホークの怖さ、またフィニーがしっかり怖くて泣くシーン、そして事件を乗り越えて成長した結果が、隣の席の女の子とちょっとだけ上手く喋れたことに収束するのも、まじでジュブナイルしてて最高。

『サマーオブ84』と同じように「殺人鬼も誰かの隣人である」という恐怖を扱った作品でもある訳で、殺人鬼vs子供の力の差や『サマーオブ84』の顛末から最悪を想像して縮み上がっていたが、本当にあのラストでよかった。