題名:『ストーリー・オブ・マイライフ 私の若草物語』
原題:『Little Women』
製作国:アメリカ
監督:グレタ・ガーヴィグ監督
製作年:2019年
どうもArchです。今回紹介したのは150年前の大傑作少女小説原作の『ストーリー・オブ・マイライフ』だ。『レディー・バード』以来のグレタ・カーヴィグ×シアーシャ・ローナンが再タッグ、まら第92回アカデミー賞では5部門にノミネート、衣装デザイン賞を受賞したことから既にその凄さが認められている作品である。
衣装面や豪華なキャスト、グレタ・ガーヴィグにしか描けない"女性のシンボル"の描き方など褒められる点は無数にあるが、本作の凄い所は「原作の再構成」にあると感じた。つまり脚色が実に上手いのだ。
観賞前に原作である『若草物語』を読んだ万全の状態で挑んだからこその感想だが、なので今回は原作を踏まえて時評を行っていきたい。
原作について
ひとまずは原作を軽く紹介したい。『ストーリー・オブ・マイライフ』では主に『若草物語』『続若草物語』のエピソードを取り扱っている。
『若草物語』は約150年前にルイーザ・メイ・オルコットによって書かれた自伝的小説である。マーチ家の4人姉妹を中心に日常が描かれた作品になっていて、しっかりものでやや保守的な長女メグ,小説家を目指し、自由奔放で作者がモデルの次女ジョー、ピアノが大好きで病弱な三女ベス、絵が好きでわがままな四女エイミーのリアルな家族風景が当時の子供層に絶大な人気を得た。
作中の父親が自宅に戻り、メグがローリーの家庭教師であるジョン・ブルックと結婚するところまでが『若草物語』の内容で、それぞれが別れて大人になり、ベスと死別するなどのエピソードが『続若草物語』の内容になっている。
二つの時間軸を行き来する構成
本作は少女時代である『若草物語』の時代と大人時代である『続 若草物語』の時代を行き来するようにして物語が進行していく。まずこの二つの時間帯の描き方が非常に巧い。
どう分けて描いているかというと、主に撮影方法で描き分けているのだ。過去の少女時代は暖色系のライティングで"裕福さ"や"郷愁"を凄く印象づけるように描き、対して大人時代は寒色系で統一し"貧困"や"現実"を強く印象づけている。他にも衣装の差異、明確な演じ分けで描かれている時代を明瞭にしており、説明なくシームレスに時代を行き来しても混乱しないようになっていた。
また、大人時代のストーリーに連想させるエピソードとして少女時代の出来事を差し込むことで原作の羅列されがちなエピソードを上手くまとめ、また無邪気さが喪失していく様を如実に伝える構成になっている。
女性の数だけある幸せの形
若草物語は四姉妹を通して幸せの形が無数にあることを示している。それは「結婚だけが幸せじゃない」という安直なメッセージに止まっていないということ。なかでもジョーは自らの幸せに対して人一倍葛藤している存在です。
この物語はジョーは「小さな貴婦人」から大人になるまでの物語であり、彼女が大人になるための通過儀礼をうける様を描いています。
彼女は自ら一人で生きていくことが一番の幸せだと考えていました。しかし、彼女は大人になり、ベスの死を通して一人でいることの寂しさを知ります。かつて振ったローリーに想いを寄せたりと彼女は迷走します。この迷走こそが通過儀礼です。人によってその通過儀礼は違い、結婚であったり、留学であったりと様々。ですが、それらは大人になるために必要なことであり、また"幸せ"を見つけるのに大切なことです。
ジョーは迷走し、幸せについて考え見つけようとしています。確かに行き当たりばったりな様子にも見えますが、これを描かずに彼女が教師との結婚を選んでいたならば説得力がないものになっていました。
幸せは女性の数だけある。だからこそ自分の幸せを見つけるのは簡単じゃない。そういった幸せをみつけるまでの葛藤のプロセスを行き当たりばったりだという誤解を恐れずに描いたことが素晴らしい。
最後に
本作は多くの現代的な映画手法でリブートされた作品ではありますが、本質的なテーマや価値観を現代的にブラッシュアップしているわけではありません。それでいて、原題でも通用するのは、150年前の時間を越えても現代に寄り添う問題を扱っているからです。それは未だに世界が変わっていないという悲観的な感傷を抱きもしますが、それ以上にオルコットの生み出した傑作のパワーに驚いてしまいます。
また、この作品を観ているとグレタ・ガーヴィグとオルコットが非常に重なる。なぜなら彼女もオルコットの『若草物語』にあたる『レディーバード』を生み出しているからだ。だからこの作品は成功したのだと私は思います。