劇場からの失踪

映画をこよなく愛するArch(Ludovika)による映画批評 Twitterもあるよ @Arch_Stanton23

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靴紐の結べない君たちに捧ぐ愛の物語『ジョジョラビット』劇場映画批評第11回

劇場で観た作品を息子に愛を説くように書き連ねる劇場批評「劇場から失踪」第11回

※ネタバレあり

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どうもArchです
今回紹介するのは「ジョジョラビット」です。
第二次世界大戦期,ナチスの青少年軍団ヒトラーユーゲントに参加した少年ジョジョは屋根裏に隠れていたユダヤ人の少女と出会う。その出会いは少年に新たな世界の姿をみせる。
世界の何が間違っているのか。10歳の少年は何を感じ、そして何を想うのか。
戦争の時代,その歪んだ時代を少年の視点でコミカルに風刺的に描き出す。
 
 
今作重要となるのは「この繰り返し語るべき物語は誰のためにあるのか」
この問いを頭の隅に置いて頂いて、読み進めて頂きたい。
 
今回あんまり批評に流れは無いのでどれも独立したものとして読んで頂きたいです。
 
 

CAST

10歳の少年ジョジョはナチスに憧れ,立派な兵士になろうと奮闘する。演じるはローマン・グリフィス・デイビス。

今作が銀幕初めての作品。その純朴な外見は子供ながらのあどけなさを感じさせるし,その純朴さは裏にある洗脳教育の恐ろしさを語るのに一役買っています。

そんなジョジョの空想上の友達、コメディー色の強いアドルフ・ヒトラーを演じるのはタイカ・ワイティティ。

監督を務めながらの出演で,そのコミカルなキャラは今作の重要なエッセンス"ユーモア"と"ナチス"の象徴として機能しています。

今作がワイティティにしか作れない作品だと確信させられるのはその監督手腕だけでなく,この演技力のおかげでもあります。

ナチス一辺倒だったジョジョの世界を変える出会い,屋根裏部屋に住むユダヤ少女を演じたのはトーマシン・マッケンジー。

Netflixオリジナル「キング」でティモシー・シャラメなどと共演していたのが記憶に新しいです。

その凛々しい姿は強さとカッコよさを兼ね備えていて、ジョジョにとって新たな世界の入口としての役割を担っています。

 

そしてサム・ロックウェルも紹介を忘れてはならないです。今回演じたのはジョジョ達の教官、通称キャプテンKです。

今作で彼は歪なポジションで「ゲイのナチス党員」であり,「ナチスの敗北を悟っているナチス」であり,「もしかしたら有り得たジョジョの未来」でもあるのです。

ジョジョを包む母なる愛

キャスト紹介で一人重要な人の紹介をしていないのをお気付きでしょうか?

 

そう、それはジョジョの母、ロージーです。彼女を演じるのはスカーレット・ヨハンソンです。

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今作の彼女の演技の素晴らしさは何といってもその"自然"さにあると思います。柔軟でいて、強い意思を持つそのロージーというキャラを見事"生きたキャラクター"に仕上げています。

 

今作は戦争映画でありながらも"暖かさ"を兼ね備えています。

その暖かさの理由は色々考えられますが、やはりロージーの存在は大きいでしょう。そんな暖かさを含めて、ロージーが戦争映画に属する今作にもたらした影響を2つ紹介したいと思います。

 

彼女は今作で"ナチスに屈しない存在"世界に抗う女性として描かれています。

特に視覚的側面が今ジャンルのセオリーに大きなずらしを与えています。

今作は軍服が多くて視覚的にも本来なら暗くなりやすそうな戦争映画ですが、彼女だけが色鮮やかな衣装に身を包み、映像を華やかにして視覚的にもその暖かさを観客に伝えています。そのおかげで単なる残酷で冷たい戦争映画ではなく、戦争を通して世界に必要な愛と寛容を語る映画であることをビジュアルで伝えているのです。

これは「マイティー・ソー/バトルロイヤル」から続いて、タッグを組んでいる衣装担当マイエス・C・ルペオの見事な手腕といえるでしょう。

 

視覚効果の他に、彼女のキャラクターの存在そのものがこの作品に暖かさを与えています。

言わば、ロージーは今作の"心"です。何故なら"愛が全て、愛に勝るものはない"という今作の暖かなテーマを体現しているからです。

今作はジョジョが愛を知る物語でもありますが、それを伝えたのは彼女の生き様です。

その生き様を端的に表す言葉

憎しみは勝ちはしない。愛が最強の力よ

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これは今作一番の名言だと思います。

歪んだ世界の中で自分の善悪に従って行動する母の姿を見て、最初のジョジョには理解できませんでした。しかしエルサとの出会いでその"言葉"の強さを知り、ロージーのように誰かの靴紐を結んであげられる存在に成長したのです。

 

彼女はゲシュタポに捕らえられて死刑になり、作品の途中で退場します。それは作中一番の強烈なシーンです。

しかし、観客はジョジョの姿に彼女を感じて、作品の最後まで彼女の存在や言葉を忘れません。まさにこの映画に通った"ルージュのように赤い血"であり、暖かさの源なのです。

 

これらは一例に過ぎません。この映画を構成する全てが上手く作用し、"ナチス"という残酷で冷たい物語を取り扱いながらも、血の通った暖かな愛の物語に仕上がっているのです。

 

 

子供が子供で居られない世界

まず、この作品の平和の象徴は踊りだということ。

そして靴紐は「ジョジョの善悪の目覚め、相手を知る事の大事さ、愛を知る等の成長」のメタファーとして機能しています。

 

靴紐がほどけていれば、人は踊れません。

靴紐を結べてはじめて、大好きな人と踊れるのです。

 

それは言い換えれば、ジョジョのように成長することが平和に繋がるというメッセージでもあります。

 

しかし、ここに悲しみがあります。10歳の彼が何故成長しなければならなったのか。それは自然なものではなく、"歪んだ世界を正しく生きるため"、仕方のないものでした。

ロージーも言っていました。「子供は子供らしくしてればいい」

これはあの世界の子供が速く大人になろうと、そして大人が子供をいい様に使うため、大人として扱っていたからの言葉です。

戦場を歩く子供を誰も気に掛けない描写なんて本当に見ていられなかったです。

子供達は大人への一歩だと言ってナイフを携帯させられる。

しかし、劇中エルサがそのナイフを簡単に止めたように子供がナイフを持ったところで大人にはなれないのです。

あの平和とかけ離れた大人にならざるをえない世界にはジョジョのように正しく成長することが必要だったのです。

 

しかし、どのような成長であれ、無理に大人になる必要はない。

やはり平和な世界とは「子供が子供で居られる世界」なのだと思います。

 

 

繰り返し語られるべき"靴紐を結べない君たち"に向けた物語

今作は公開前の絶賛の空気から一転、蓋を開けると賛否が分かれた作品だったように思います。

否定的な意見として「戦争,ナチスの残虐さが描かれていない」「エルサに惹かれる理由が分からない」「ヒトラーやナチス党員を馬鹿にしていてリアリティーがない」などが見受けられました。

確かにと思う否定意見もありましたが、先ほど挙げた点に関して言えば共通するのはやはり今作が何を意識して作られたのかを理解していないことがあると思います。

逆説的に言えば、それらの納得のいかない要素すべてに筋を通す観点こそが今作の描きたかったものだと言えます。

 

 

まず前提として今作が"誰に向けて作られた作品であるか"ということを考えてみましょう。タイカ・ワイティティ監督のインタビューを引用します。

 

「私は、本作のユーモアが、新しい世代の絆となってほしいと願います。

子供たちが耳をそばだて、学び、そして未来へと進むことを助けるために、

第二次世界大戦の恐ろしさを繰り返し語る、新しく斬新な方法を見つめ続けることが重要なのです。」

 

幅広い世代に観てもらうのは勿論のこと、特に"ジョジョと同じ年代で戦争を知らず、ナチスという言葉も聞いたことないような子供世代"のために繰り返し語らなければならない物語として監督はこの作品を作ったということです

だから今作には子供が観ることを意識した要素が多くあります。そのことを念頭に置けば色々合点がいくはずです。

 

まず第一に10歳の少年ジョジョの成長を中心に据えた物語であること。

少年視点で見た滑稽なヒトラーやゲシュタポ。

子供が喜びそうなチープなギャグ。

少し年上の強気なお姉さんに惹かれる姿。

林間合宿を想わせる「ムーンライズキングダム」のようなキャンプ。

それらはナチスという要素を抜きにすれば、児童小説のような設定です。

特にエルサとの下りは少年向け児童小説のような子供の恋愛でした。そこに「なんで恋に落ちたかが分からない」なんて大人の野暮は介在するべきではないのです。

 

そう、今作はまず少年の恋物語として子供達に届く。物語を"子供向けな要素"でオブラートに包み届きやすいようになっています。

だから必要以上にナチスを小馬鹿に、グロ描写を減らした作りになっているのはそのためです。

子供が観て楽しめる。かつて我々が小さかった頃に観た映画達のように心に刻める映画で無ければならない。そんな理念あってのこの映画なのです。 

 

 

 

最後に

まだまだ言いたいことがある中、絞って書きました。

これは10歳の子供がこの平気な顔して狂った世界で何が正しいのか、大切なのか。何が間違っているのかを見定める物語です。

そしてエルサとの出会いから始まるピュアな恋の物語でもあります。

子が親の偉大さを知る親子の物語でもあります。

しかし無数の語り口があっても、その結末は彼女の言葉に帰結します。

憎しみは勝ちはしない。愛が最強の力よ

これまで憎しみで語られてきた"戦争"の物語。決して許すとかいう話ではない。

それでも子供に語り継いでいくのなら"愛と寛容"を以って語るべきなのです。