劇場からの失踪-映画批評ブログ

映画をこよなく愛するArchによる映画批評

『ゆれる人魚』- 人魚は己の悲恋を唄う「シネマコンパス」第1回

どうも初めまして、Archです。

今回から-プチ映画紹介-として映画の短く読める紹介記事を書いていこうと思います。題して「シネマコンパス」。

数多ある映画浮かぶ大海を乗り越なす一つの指標となればと思います。

文章の量は分かりやすく表現すると「Filmarks」ぐらいでしょうかね。サクッに読める500~1000文字程で映画の魅力が伝えられればなと思います。

(今回は考察や批評ではないので紹介記事的側面が強いのでネタバレは極力避けますが、予告編レベルの情報は載せていくつもりです。)

 

第一回目として紹介するのは『ゆれる人魚』です。

f:id:Arch_movie:20200519040914j:plain

映画.comより引用

共産主義下にあった1980年代のポーランドを舞台に、肉食人魚姉妹の少女から大人への成長物語を野性的に描いたホラーファンタジー。海から陸上へとあがってきた人魚の姉妹がたどりついた先はワルシャワの80年代風ナイトクラブだった。野性的な魅力を放つ美少女の2人は一夜にしてスターとなるが、姉妹の1人がハンサムなミュージシャンに恋をしたことから、姉妹の関係がおかしくなっていく。やがて2人は限界に達し、残虐な行為へと駆り立てられていく。監督は本作が長編デビュー作となるポーランドの女性監督アグニェシュカ・スモチンスカ。「第10回したまちコメディ映画祭 in 台東」(2017年9月15~18日)の特別招待作品として上映。 2015年製作/92分/R15+/ポーランド 原題:The Lure

二項対立を溶かすピュアストーリー

アンデルセンの『人魚』や土着信仰から連想される"人魚神話"。そのカビの生えた古い悲恋の物語を現代に再解釈して見せたのがこの『ゆれる人魚』です。

まず斬新なのがその設定でしょう。人魚映画と言えば『リトル・マーメイド』等が連想されるでしょうが、全く違ったテイストになっています。この映画の設定、それは

"人魚がナイトクラブでスターになる"。

というものです。中々に奇抜な設定ではありますが、人魚特有の妖艶さ歌唱という点で非常にマッチしている。しかし同時に、少女というビジュアルの異常さが価値観をぐらつかせるような独特な空気感ももたらしてもいるのです。

 

本作はホラー×ミュージカルのジャンルミックス作品で特に"唄"が非常に魅力です。

人魚とは本来、唄で男を海に誘い込むような妖魔です。それを"ミュージカル"という形で現代劇に持ち込むのは中々に両采配。また、ポーランド語で歌う楽曲が放つ聞き慣れない言語の歌詞は人間を海へと誘惑する人魚の歌声そのもので新感覚な音楽体験も本作で推していきたいところです。

 

本作における二人の人魚は大人へと成長する"少女"のメタファー的に描かれている。子供でも大人でもない中間的な存在。その曖昧な存在が本作の「ホラーとロマンス」、「幻想と現実」、「海と陸」、「人と人魚」、「男と女」のような二項対立の関係を溶かして混ざり合わせます。そのまどろむような不思議な感覚こそが本作の支配する雰囲気になっています。

 

先程"少女"のメタファーだと書きましたが、個人的には今作はもっとピュアな視点で観る方がより楽しめると思います。野性的故になによりも純粋な存在"人魚"。そんな彼女が禁断の恋をする。それはアンデルセンの『人魚』を思わせる悲恋に終わるかもしれない。だがそこには、ファンタジーに踏み入るほどに美しい愛がある。

この時代にかつてディズニーが描いたようなこんな美しいファンタジーに滅多にありません。

そしてこんなピュアなラブストーリーも早々出会えないとも思います。

だから是非、ピュアな気分で彼女たちの誘惑に身を任せ、身も心も溶かされてみては如何でしょうか。