劇場からの失踪

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『三姉妹』役割からの開放、過去からの解呪 劇場映画批評第61回

題名:『三姉妹』
製作国:韓国

監督:イ・スンウォン監督

脚本:イ・スンウォン

音楽:Ki-heon Park

撮影:Yeong-Cheon Cho

公開年:2022年

製作年:2020年

 

目次

 

あらすじ

ソウルに暮らす三姉妹。花屋を営みながら元夫の借金を返済している長女ヒスクは、娘に疎まれながらも大丈夫なふりをして毎日をやり過ごしている。高級マンションで家族と暮らす次女ミヨンは、模範的な信徒として熱心に教会に通い、聖歌隊の指揮者も務めている。そんな彼女の完璧な日常が、次第にほころびを見せはじめる。劇作家の三女ミオクはスランプに陥って自暴自棄になり、酒浸りの日々を送っている。父の誕生日を祝うため久々に集まった三姉妹は、そこで幼少期の心の傷と向き合うことになり、それぞれもがき苦しみながらも希望を見いだしていく。

引用元:

eiga.com

今回紹介するのはイ・スンウォン監督の『三姉妹』である。韓国のドラマや映画で実力が注目されている「愛の不時着」キム・ソニョン、「オアシス」のムン・ソリ、「ベテラン」のチャン・ユンジュが三姉妹を演じる本作は、兼ねてから期待していた作品である。それでは早速語っていこう。

 

※以降ネタバレあり

 

三姉妹の呪い

これは三姉妹の解呪のお話である。
母親として、姉として、女として三姉妹は生きている。

長姉ヒスクは笑顔で愛想を振りまき、慎ましく生きるが、世間に舐められ、娘に嫌われ、ついにはがんを宣告される。彼女の描写は家庭に入り、人間関係がクローズした高年齢の女性の孤独の典型であり、そこから生まれる一種の狂気と母親の羞恥がまじまじと描かれる。


次女のミヨンはヒスクに対してかなり高所得層の生活をしていて、二人の子供と夫と囲む食卓はアメリカンドリームが作り出した理想の家庭像の模倣に通ずるものがある。しかし彼女ミヨンの娘が頑なに「祈ろう」としないこととミヨンが強制的に祈らせようとすることが暗示するように、この家庭は内在する欠陥を隠蔽しようとするミヨンの我慢がこの均衡を保っていることは明らかである。


そして三女のミオクは他の誰よりも自由で天真爛漫のようだが、「母親」になろうとして苦しむ。それは「母親」であることを自然と受け入れ、それが呪いとなってる二人の姉とは対称的であるが、根本的に、同じ「女の役割」に苦しめられる女性として同じことだと言える。
そんな「呪い」を抱える三姉妹が、場所を別にしながらもその状況に鬱屈した感情を感じ、ついにははち切れていく。その様子がややコメディに描かれるが、カタルシスはなく、異常者のレッテルと日常の決壊という悲しい結果しか残らない。

 

「内在する欠陥」と向き合う

そんな彼女達の物語には、屋台骨として幼少期の体験がモノクロで挿入される。
モノクロの描写は彼女達の現在とかつての記憶の距離を褪せた色合いで表現しているようだ。徐々に明らかになる事実は、父親に虐待を受けていたこと、ミヨンとミオクは助けを求めて逃げ出した夜、そして思い出すことと同時に存在が示唆される弟の存在。まるでこれまで触れてこられなかった身内の描写は、効果的に「家族の陰」を示唆する。

 

主張のできない弱い姉だ、と思っていたヒスクが、弟を守ろうとした姿をカメラが捉えた時、画面は色づき出す。彼女達それぞれの生活の「内在する欠陥」と向き合い、彼女たちが一つに集まったからこそ紐解かれた記憶。その果てに、父親という真に向き合うべき三姉妹の「内在する欠陥」と向き合うのだ。
悲痛な叫びの連鎖の後、唯一彼女達が3人で映っている写真の撮られた海に三人で辿り着く。

フレームを意識したドリーショットは幼少期の写真の続きが始まるような不思議な感覚をもたらす。そして観客には分かりえない誰かによって(多分父親)撮られた写真を自撮りという行為で「上書き」することで本作は、再出発を演出する。晴れやかな過去との決別のシーンであり、これ以上ないラストだ。

 

最後に

女性が与えられた役割から解放されることで、彼女たちは真の意味で人生に向き合う。忘れてしまいそうだった過去を取り戻し、人生を再出発させる。現状に息苦しく感じるあなたにこそ見て欲しい。