西に進め―――
終末世界が完全なる終わりに向けてゆっくりと衰弱していく中で、イーライ(デンゼル・ワシントン)は天から声に従い、"ある本"を持って当て無き旅を続ける。
街を支配するカーネギーは"ある本"を探している。その"本"の持つ強大な力で世界を支配しようとする。
男達は出会う。世界を変える出会い、世界は一冊の本の行方に託される。
どうもArchです。「シネマコンパス」第二回、紹介するのはの『ザ・ウォーカー』。題の由来は主人公の定住せずに旅を続ける様から来ていて、原題は「The Book of Eli」。終末世界である本を巡って戦う物語になっています。
では早速本作の魅力を語っていきましょう!
鋭いモノクロ映像世界と「座頭市アクション」
本作の舞台は最終戦争によって社会や文化が完全に崩壊したいわゆる"終末世界"です。運よく生き残った僅かな者達が残された資源を奪い合うという限界な世界観で「マッドマックス」等を思わせるものになっています。
製作には『マトリックス』に携わっていたジョエル・シルバー。それ故か登場人物のほとんどがサングラスを付けていて、更に"救世主"を題材にしている点もかなり似ています。
しかし、決定的に違うのはそのビジュアルの鋭いモノクロ感です。
核のせいか常に灰色になっている空を背景に、サングラスを掛けた世紀末スタイルのデンゼル・ワシントンが登場することで、モノクロで映画のビジュアルが統一されている。特に目を見張るのはシルエットの使い方。光と影を巧みに使いシルエットが浮き彫りになるようになっていて、シャープな映像感を抱かせるのです。
そんなモノクロ世界故にアクションがかなり映える。一vs複数のアクションと刹那の命のやり取りはまるで「座頭市」。また"西"というワードや荒廃した街がから連想される"西部劇"の要素もあって、つまり"座頭市ウエスタン"というオリジナリティーある映画の雰囲気を醸し出しているのです。因みにサングラス&ブレードアクションは『ブレイド』的。下の画像のシーンなんてまさにそれ。
キャスティングも中々に鋭さを与えている。デンゼル・ワシントンの醸し出すやばいやつ感が凄い。終末世界には不釣り合いな繊細さと容赦の無さを兼ね備えていて、一種の偏執感を思わせるキャラクターになっている。これは彼の後の作品である「イコライザー」にも通ずる点でもあるように思います。
終末世界における"教養"
本作では二人の男が物語の主幹になっている。"ある本"を運ぶイーライ。そして"ある本"を使い、終末世界を支配しようするカーネギー。"ある本"に対する姿勢で対称的な二人だが、共通点しているのは"教養"を兼ね備えているという点です。
この終末世界で"教養"という題材に触れるのがかなり面白い。ほとんどの人間が文字すら読めないという環境で文字を読める技能に価値はあるのか問題。これは現実世界にも置き換えられ、生きる上で芸術や文化への"教養"というものに存在意義はあるのかという問題になってくる。
確かに生きるうえで不必要なものかもしれない。しかし本作が示すようにその教養こそ世界をより良くする鍵であり、人間たらしめる要素なわけです。
だからといって"教養"をひけらかす、教養でマウントを取る人間はろくな目にあわない。そんなメッセージも本作は語っています。「上には上がいる」なんて言いますが、まさにそれで、人の無教養を笑う人間はいつか自分より優れている人間にその無教養さを馬鹿にされることになるのです。
ともあれ、本作はハイウェイを歩くデンゼルのお姿だけでご飯三杯は食べられるようなデンゼル120%映画になっているので難しいことは置いておいてもいい。
おススメです!
前回の記事↓