劇場からの失踪

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『マクベス 』 女から生まれた者でお前にかなうものはいない 劇場映画批評第31回

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題名:『マクベス』
製作国:アメリカ
監督:ジョエル・コーエン監督
公開年:2022年

 

目次

 

あらすじ

デンゼル・ワシントンとフランシス・マクドーマンドという2人の名優を主演に迎えたジョエル・コーエン監督が、シェイクスピアの同名戯曲を映画化。「ノーカントリー」や「ファーゴ」など、これまで弟のイーサンとともにコーエン兄弟として数々の作品を手がけてきたジョエル・コーエンが、初めて単独で監督を務めた。シェイクスピアの4大悲劇のひとつとして知られる「マクベス」は、魔女の予言によって野心をかきたてられたスコットランドの将軍マクベスが、主君を殺して王位に就いたものの、内外からの重圧に耐えきれず、暴政によって次々と罪を犯していく姿を描いた物語。殺人や狂気、野心、怒りに満ちた計略のその物語を、モノクロ&スタンダードの映像で描き出す。

引用元:

eiga.com

 

 

ジョエル・コーエン初単独監督作品、フランシス・マクドーマンドとの共同プロデュース作品として製作された本作。題材に選ばれたのはシェイクスピアの四大悲劇に数えられる『マクベス』である。

モノクロ&スタンダード1.33:1からはシェイクスピア劇とは思えない禍々しさが窺え、映画だからこその照明の使い方が醜悪なエゴがもたらす悲劇をつまびらかにする。

キャストはマクベス役にデンゼル・ワシントン。マクベス夫人役にフランシス・マクドーマンド。他にもハリー・メリング(王子役)やキャサリン・ハンター(ウィッチ役)の『ハリーポッター』キャストや『インザハイツ』等で注目株であるコーリー・ホーキンズが登場する。

 

 

キレイは汚い、汚いはキレイの可視化

画面奥から人のシルエットをした影が歩いてくる。 このモノクロだからこその印象的かつ反復される映像こそが悲劇の呼び水の如く、マクベス等の登場人物に悲劇をもたらしていく。

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そのシルエットが最初に登場するのは、三人のウィッチとマクベスの邂逅である。ここでマクベスとバンクォーはウィッチから予言を聞くこととなる。最初は半信半疑ながらも予言通りが事が進んでいき、次第にマクベスの中に野望が芽生え始める。そして夫人に焚きつけられたこともあり、遂には王の暗殺を成し遂げるのだった。だが、マクベスは王の器にあらず、次第に国も自身も破滅へと向かっていってしまう。
 
このように筋書はほとんど原作通りらしく、また台詞も原作の演劇風の長台詞を忠実に再現している。そのため、多くの人にとって「何を語るのか」よりも「どう語るのか」に注目がいく作品であることは間違いない。
 
「どう語るのか」が注目される中で、モノクロという選択は『マクベス』の重要な"予言"の一つである「キレイは汚い、汚いはキレイ」の可視化になっている。
この言葉は、人間の矛盾した心理や、欲望(もしくは予言)が栄光と破滅をもたらす様を指し示す言葉であるが、この映画ではモノクロ映像を用いた陰影が人の栄枯や欲望を可視化するように機能し、その言葉を強化している。
モノクロ映像と言えば、最近思い出されるのは『ライトハウス』で、どちらも欲望を効果的に表現する方法としてモノクロ映像が使用されている。

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この荘厳で効果的なモノクロ映像を手掛けた撮影監督はブリュノ・デルボネル。過去に撮影監督として参加した『ウィンストン・チャーチル』も褪せた色彩が美しい、凄まじい映像美だったのを記憶している。
 
話は逸れたが、何はともあれ本作はそのモノクロ映像にこそ価値があるので、是非劇場で堪能してほしい。
 
 
 

「女から生まれた者でお前にかなうものはいない」

物語部分については、『マクベス』とほとんど同じらしいので言及することはないのだが、実は自分はマクベス未読であるため、かなり新鮮に見ることが出来た。
特に最後の予言によって栄光を掴んだマクベスが、予言に翻弄されて破滅する姿は非常に面白かった。予言にどれほどの未来の決定力があったのか定かではないが、マクベスが破滅した理由は何よりも予言を信じ、「未来の責任を放棄した」からなのだ。予言に頼るということはつまり、選択することを放棄したということ。この破滅の本質には、自らの人生の操舵手ではなくなってしまうことの悲劇があるのだろう。
 
マクベスが城陥落時に予言に翻弄される様が、何よりも素晴らしいのだが、"予言"の裏に作者の影をちらつく、作劇の真理を観た気がした。予言とは言い換えれば、作者が逆算して配した文言であり、マクベスがその予言に翻弄される様はどこか作者によって翻弄されているかのように思えたのだ。物語とは、得てしてそういったものなのだろうが、作者に操られる様にどこかマクベスを不憫に思ってしまったのだ。
 

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最後に
この映画はジョエル・コーエンの描く「殺人事件」という文脈で語ることができるのかもしれないが、自分は知識がないので、他所にお任せしたい。
余談だが、唯一のアクションシーンがラスト頃にあるのだが、デンゼルワシントンがその一瞬だけ、『イコライザー』のようで面白かった