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題名:『哭悲/The Sadness』
製作国:台湾
監督:ロブ・ジャバス監督
脚本:ロブ・ジャバス
撮影:Jie-Li Bai
美術:Islam Abdelbadia
公開年:2022年
製作年:2021年
目次
あらすじ
台湾で感染拡大していた謎のウイルスが突然変異を起こし、人間の脳に作用して凶暴性を助長する恐ろしい疫病が発生した。感染者たちは罪悪感に苦しみながらも暴力衝動に抗えず、街中に殺人と拷問が横行する事態に。感染者の殺意からどうにか逃げ延びたカイティンは、数少ない生存者たちとともに病院に立てこもる。カイティンから連絡を受けたジュンジョーは生きて彼女と再会するため、狂気に満ちた街へひとり乗り出していく。
引用元:
今回紹介するのは、ロブ・ジャバス監督の長編デビュー作となる『哭悲/The Sadness』である。台湾の街を舞台としたパニックホラーで、ルックはゾンビ映画ながらも明らかに異様な"別次元"の作品に仕上がっている。人はただの血の詰まった肉袋、大脳辺縁系に制御される肉欲の奴隷に過ぎないと痛感させられる作品で、すれ違う他者に不信感を覚え、赤色に敏感に反応し、自分すらもおかしいのではないかと恐怖に支配され…こんなにも上映直後の景色が不穏なものに入れ替えられてしまう作品は滅多にない。
今年の10本には必ず入る傑作だと私は考えている。
では、早速語っていこう。
※以降ネタバレあり
愛と肉人形
本作が持つ実生活にも侵食しうる"感染力"は、脳に焼き付けられる鮮烈なグロテスク描写がまず発端がある。
グロテスクさに一切歯止めを効かせない描写の連続、冒頭の熱せられた油をかけるところから列車内のカオス、眼球レイプ、隙間なく際限なく「最悪の行為」が描き出される。まさに地獄絵図であり、ジュンジョーが途方に暮れて高所から眼下の街を見るシーンは、顔は画面に映らずとも完全に心が折れ、"感染者"となってしまったのだと分かってしまう。そして皮肉にもそんな折れた心すらも、本作の「感染」の効果によって無視され、ジュンジョーは"欲望"のままにカイティンの元に向かうのだ。このラストはジュンジョーの行動に「感染前の愛故の行動」と「折れた心を無視して突き進む肉人形」の2つの解釈を可能にできるように描写されているからこそ、切なくも苦痛なものになっている。
「最悪を思いつけたから生まれた映画」
そんなグロテスクな本作で注目すべきなのは、唯一自体を予見していたように描写された医者が「発想力は消えない、だからこそ最悪が次々に思いつき、実行してしまうのだろう」(曖昧)といった旨の言葉だろう。彼は誰よりもこの事態を理解した存在であり、観客に対してこの状況が大脳辺縁系が破壊されたことによって欲望に歯止めが利かなくなってるだけに過ぎない状況だと説明する。
つまり、あの凶暴性は誰しもに「内包」されていると語るのだ。感染者の感染ルートが曖昧にされたり、ゾンビのような特殊メイクを施されず、目以外は非感染者と変わらない普通の人々であることが何よりも境界を曖昧にしている。
先のセリフはもちろん、作中の"感染者"に向けられた言葉である。だが同時に観客や本作の製作者にも向けられた言葉だ。そして本作が生み出されたことがまさに「最悪を思いつけたから生まれた映画」であるために、その証左となりうるのだ。
人は「最悪を想像できる生き物」であり、「それを何らかの抑制によって実行しない」から世界は回っている。しかしその状況が如何に薄氷の上の出来事で、簡単に壊れてしまうものであるかを本作は語っている。
(余談だがこの映画で『もう終わりにしよう』の「考えることは行動よりもやや真実や本当に近い」という台詞を思い出した。)
笑い声
また何より「現実」を反映した人物描写や設定のおかげで、その肉薄した物語はより現実味を帯びることになる。まずアルビィンウイルスと名ずけられたウイルスの作中冒頭の扱いは、正しく陰謀論者とコロナの関係性を想起させる。また電車内でのナンパ行為(セクハラ行為)も実際に起こりうるリアリティで描かれていたし、その後の電車での殺し合いは昨今の無差別殺傷事件を思い出させてくる。他にもいわゆるゾンビ映画にはまずない「虐め」という行為が、社会的な要因ではなく人の持つ攻撃性由来だという描写は、明らかに本作の特筆すべき点だと言える。
またそこに付随して本作はいわゆる「ゾンビ映画」のようなルックながら差別化されているのは、叫び声の中に混ざって聞こえる「笑い声」である。笑い声は一転して怖いものだと、多くのホラー映画が語っているが、本作はまさにその性質を遺憾無く発揮するのだ。
最後に
最後にはジュンジョーだけでなくカイティンも画面外からの音だけ死んだことが分かるという壮絶な終わり方。「主人公ののつもりか?」という言葉が脳裏を過る。
カイティンは抗体を持っていた。ならなぜ死んだのか。誰しもに平等に降りかかるのは"感染"ではなく、誰しもが内包する"暴力"だからだ。