題名:『スペンサー ダイアナの決意』
製作国:ドイツ・イギリス合作
監督パブロ・ラライン:監督
脚本:スティーブン・ナイト
音楽:ジョニー・グリーンウッド
撮影:クレール・マトン
美術:ガイ・ヘンドリックス・ディアス
公開年:2021年
製作年:2022年
目次
あらすじ
クリステン・スチュワートがダイアナ元皇太子妃を演じ、第94回アカデミー賞で主演女優賞に初ノミネートを果たした伝記ドラマ。ダイアナがその後の人生を変える決断をしたといわれる、1991年のクリスマス休暇を描いた。
1991年のクリスマス。ダイアナ妃とチャールズ皇太子の夫婦関係は冷え切り、世間では不倫や離婚の噂が飛び交っていた。しかしエリザベス女王の私邸サンドリンガム・ハウスに集まった王族たちは、ダイアナ以外の誰もが平穏を装い、何事もなかったかのように過ごしている。息子たちと過ごす時間を除いて、ダイアナが自分らしくいられる時間はどこにもなく、ディナー時も礼拝時も常に誰かに見られ、彼女の精神は限界に達していた。追い詰められたダイアナは故郷サンドリンガムで、その後の人生を変える重大な決断をする。
引用元:
※以降ネタバレあり
美しき伝統の様式は「毒」として機能する
個人的には今年の『燃ゆる女の肖像』枠だ。完璧に構築された本作には相応しいだろう。
ダイアナ妃のクリスマス前後3日間の物語を描いた本作は、ダイアナ妃と王室の確執に焦点を絞り、今にも窒息しそうなダイアナ妃の状況を追体験させ、彼女が人生の主導権を取り戻そうと藻搔く姿を描いている。
ルックで言えばウェス・アンダーソン的。それもそのはず、ウェスはテキサス生まれのアメリカ人から憧憬を以てヨーロッパの様式を再現する作家であるからだ。しかし、ルックは共通しながらも本作において、その美しき伝統の様式は「毒」として機能する。美しい建築や衣服、そして飾られた美しい食事。それ全てがダイアナを外側から、また内側から侵害しようとする。衣食住が不自由で拘束具として機能する世界は、恐怖でしかなく、まるで幽霊屋敷に迷い込んだかのような感覚に陥らせる。それはキューブリック的なシンメトリックかつ印象的にドリーショットも相まって『シャイニング』を連想させる。
ただこの物語がそういった苦しみに満ちているのは、彼女の中に「抵抗」する意志があるからに他ならない。体の免疫反応のように彼女の嘔吐が反射的に行われるが如く、必死に王室という毒に抵抗する。「ここはどこ?」と迷いながらも、必死に出口に歩みを進める、だからこそ彼女は苦しむのだが、そこにこそ彼女の気高さがあるの事実だ。
視線
彼女の抵抗の証は、一挙手一投足や嘔吐だけでなく、特筆すべきはその「見る」という行為だ。本作で王室の人々は、彼女に直接的な罵詈雑言を浴びせることはまずない。
しかし、その代わりに彼女へと浴びせられるのは「視線」である。それは言葉と同じぐらいに彼女の心を蝕む。その「視線」に対して、彼女もまた「見る」ことで抵抗する。全員揃った食事のシーンが顕著だろう。彼女は食卓のあらゆる方向から集中砲火される中で、必死に「抵抗」するように見返す。結局は目を背け、傷つくが、それでも眼差しを向ける。視線の戦争、"視戦"とも言うべきそれは食卓だけでなく、常に監視される屋敷において常に起こりうることであった。そして"視戦"の最中だからこそ、真夜中の子供部屋で子供達とごっこ遊びをするシーン、互いに見つめ合うシーンの尊さは強調される。
そう、そんな苦しみの中でも子供達という希望がある。子供達との関わりの中には彼女の「スペンサー」である部分が立ち上がる。そこに蝋燭の灯りのような尊さがあり、彼女本来の美しさが滲み出る。苦しみの描写の中に、彼女の美しさが滲む尊い時間が挟まれる構成にこちらは心動かされるのだ。
ここには1つの時制しかない
重要なキーワードとして「ここには1つの時制しかない、未来はなく、過去と現在は同じである」というものがある。これは言ってしまえば伝統に囚われ、過去を現在と同化させようと努力する王室の根本的な病だ。その病に侵される様は前述したように、本作の敵対する価値観である。しかしながらダイアナ妃もまた、「生家」への執着を表すように「過去」に縋る存在であることに変わりない。そう考えていくと、本作は必ずしも過去への視座を否定していない。
極めつけは、クライマックスの彼女の回想がそうだと確信させる。『キャプテン・マーベル』のような自身の過去と現在を重ね合わせるような演出、全ては通じ、わたしは「スペンサー」であると誇示する本作の白眉ともいえるクライマックス。それは紛うことなき、過去と現在の同化であるが、彼女のアイデンティティに立ち返るという行為に昇華することによって彼女の解呪の手段になっている。そこに本作のカタルシスがある。
また彼女の中での決着ではなく、彼女がキジ狩りという伝統に、"現在"という時制で立ち向かう姿が描かれること、そして最後の車の疾走の中で王室に似つかわしくないポップソングが流れるのも爽快痛快で良い。
大傑作である。