劇場からの失踪

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『夜を越える旅』彼女は変容する 劇場映画批評88回

題名:『夜を越える旅』
製作国:日本

監督:萱野孝幸監督

脚本:萱野孝幸

音楽:松下雅也

撮影:宗大介

美術:稲口マンゾ
公開年:2022年

製作年:2021年

 

目次

 

あらすじ

漫画家を目指す春利は大学卒業後も夢を諦めることができず、恋人のヒモ同然の暮らしを送っていた。後ろめたさから逃げ出すかのように学生時代の仲間たちと1泊2日の小旅行へ出かけた彼は、応募していた漫画賞に落選したことを旅先で知り、自暴自棄に陥ってしまう。そこへ、かつて春利が想いを寄せていた小夜が遅れて合流。かすかな高揚感と淡い下心を抱く春利だったが、事態は思わぬ方向へと転がっていく。

九州を拠点に活動する俳優・高橋佳成が主演を務め、物語の鍵を握る女性・小夜を「クローゼット」の中村祐美子が演じる。

引用元:

eiga.com

※以降ネタバレあり

ジャンルを変えるスイッチ

うだつの上がらない人生を送る売れない漫画家の1夜の群像劇は、一転ホラーへと変貌していく。
そのジャンルのスイッチはどこにあったのか、夢と現実の境界はどこにあるのか。
佐賀の魅惑的なロケーションも相まって、より胡蝶の夢のようになっていく物語、その結末が何より面白かった。
本作に通底しているのは、淡い想い。それは自殺した女性への忘れられていない想いや漫画家として成就したいと思いながらも一方で、コンクールには落ちているだろうと諦めている、そんな現実逃避の想い。そもそもがこの旅こそ、そんな現実からの逃避から始まっているのではないだろうか。


そんな旅は、蠱惑的な想いの成就、つまり「サヤの登場」によって徐々にレールを踏み外していく。言わばこの明転こそが、ジャンルのスイッチだったのだ。
舞台挨拶で仰っていたように、サヤとの魅惑的な散歩は、そこになる虫の音の全てが楽器で再現されたアフレコで作られた「偽物」、つまり罠であった。その罠としての夢に迷い込み、その成就しえない淡い想いに、一度火をつけたことで物語は、ついに地獄のロードムービーと化していく。


前半(スイッチ以前)の掴みえないはずの過去や死人に手が届くことの極楽さ、蠱惑的な感触がしっかりと観客にとっても「罠」として機能しているのがとても良く、それを担っているのは一重に中村裕美子さんの存在感だろう。随所に違和感がありながらも、それを無視して熱中してしまうような色香があり、まんまと嵌められる。
後半(スイッチ後)のホラー展開。それはもう、卑怯な脅かしのオンパレードで、Jホラーが苦手な自分はびっくりしまくりだった。特に謎のソファのある部屋の下りは、前半に何故かガラスに映っていた風景が立ち上がってきた恐ろしさに始まり、ある意味"カッコイイ"空間として成立していて良かった。
他にも「忘れれば良い」という対処方法の難しさも本作の絶望感を加速させる。ゾウを頭に絶対に思い浮かべないでくださいと言われて、ゾウを思い浮かべないでいられる人は居ない。またそれが春利の忘れられない過去そのものであるのなら、ただ怪異現象を超え、過去との決別というテーマに結びついていく。
胡散臭い霊能力者の下りからカラオケ、そして更に胡散臭い霊能力者の下りを経て、もう後がない所まで行く。そこでのジャンケンの下りは、かつて"冗談"として使われた仲間内の行為が、裏切り行為として"本当"に作用してしまう嫌さがあり、見事な展開だと感じた。冗談が、悪い形で真実となる。それは正しく彼らの陥った状況そのもののようでもある。

 

彼女は変容する

過去との決別ができるのか、という題材は、多くの映画が離別や後悔というニュアンスと共に描いてきた題材である。それはその創作にするという行為に、造り手や受け取り手にとってある意味での受容をもたらすからこそ、何度も語られて出来たのだ。そう考えると、彼の"遺書としての漫画"にすることが、結果を見れば「サヤを忘れること」として(怪異に)認識されたと解釈できるものは、示唆的である。

漫画でサヤを描き、「会いたい」とまで思うことは一見、頭の中にサヤがいっぱいな状況だと言えるはず。しかし本作はそれをそう判定しないのは、創作としてアウトプットすることで忘れる、或いは(自分としてはこっちのニュアンスが近い気がするが)"変容"するからなのではないか。それはこれまで実写で中島さんが演じてきた"サヤ"は漫画の絵として最後に映画に刻印される。つまり彼女は二次元の存在へと"変容"したということではないのか。確かに、実際の人Aと誰かの記憶に残り、夢の中で動くその人Aは同一人物足りえない。そんなギャップこそが、何より突きつけられる現実として本作には存在しているようだ。
最後の春利の背中に、受容や解放の雰囲気は一切なく、「会えなかった」ことから来る執着を感じずにはいられなく、こっちの方が彼にとってBADENDだったのではという気にもなるが、それで彼が漫画家として成功するのなら、或いは…。
どちらにせよ、味わい深いラストであり、過去の思いが吹き出して来る感覚とそれに対する甘美さや恐ろしさには100%の共感があった。
素晴らしい作品、過去作も見てみたいと思う。