劇場からの失踪

映画をこよなく愛するArch(Ludovika)による映画批評 Twitterもあるよ @Arch_Stanton23

MENU

『ザ・メニュー』純化した提供者(芸術家)と消費者(観客)の関係を求めて 劇場映画批評102回 

題名:『ザ・メニュー』
製作国:アメリカ

監督:マーク・マイロッド監督

脚本:セス・リース  ウィル・トレイシー

音楽:コリン・ステットソン

撮影:ピーター・デミング

美術:イーサン・トーマン
公開年:2022年

製作年:2022年

 

目次

 

あらすじ

有名シェフのジュリアン・スローヴィクが極上の料理をふるまい、なかなか予約が取れないことで知られる孤島のレストランにやってきたカップルのマーゴとタイラー。目にも舌にも麗しい料理の数々にタイラーは感動しきりだったが、マーゴはふとしたことから違和感を覚え、それをきっかけに次第にレストランは不穏な空気に包まれていく。レストランのメニューのひとつひとつには想定外のサプライズが添えられていたが、その裏に隠された秘密や、ミステリアスなスローヴィクの正体が徐々に明らかになっていく。

引用元:

eiga.com

※以降ネタバレあり

 

ほんと自分みたいな口だけ自称映画評論家(笑)みたいな人間には耳が痛い話でした。そうと分かりつつも感想書いてしまうのをどうか笑ってください。

 

既視感で顔真っ赤

これは美食家(料理評論家)的な人達を槍玉に、そこに準ずる料理を相応しくない奴らに、シェフらが"フルコース"を完成させるという方法で、(自死を覚悟に)報復する話だと言える。

ただ本作は料理を題材にしているけれど、簡単に別の芸術やコンテンツにコンバートできようにセッティングされており、特に自分は映画鑑賞中、ノータイムで脳内で「映画」という題材にコンバートしていた。特にタイラーの振る舞いには大いに嫌な親近感を感じさせられる。
例えば彼のウンチクをペラペラ喋る冒頭から、既視感で顔真っ赤。後に判明する事実が、あーこいつその関係性だからこそ、遠慮なく喋ってたんだろなと最低のマンスプレイニングに過去の自分が多少なりとも過ぎるのだ。他にも彼のシェフの発言に対して、絶対的な信頼を寄せて、従順にフルコースを楽しんでる様なんて、監督のインタビューや発言やら識者の評になんら疑わず、エビデンズとして出してしまう浅はかな振る舞いを想起させる。必ずしも造り手が、正しくある訳ではないし、作品外から得た知識はただの外部知識であり、極論だが作品そのものと隔離すべきなのだ。
また彼の危機感のなさは、そのまま安全圏から映画を観ている観客の平和ボケっぷりに置き換えることができる。スクリーンで起こる暴力や凄惨な出来事に対して、結局観客は無関心であり、消費しているに過ぎない。現代の観客は得てして当事者性が足りず、客観視するとこんなにも馬鹿っぽいんだなぁと思わされる。(自分含めて)


そしてタイラーの話で究極的にぶっ刺さるのが、「作ってみなよ」のコーナーだ。造り手がそれを観客に押し付けるのは、禁じ手だし終わってると、思いつつも、一方で観客側も「分かってるつもり」になることが如何に危険で恥ずかしいことなのかが露悪的に描かれていて、本作屈指の展開といえるだろう

本作はタイラーという人物を通して、観客(一部のシネフィルもどき)に対して、その内なる驕りや愚かさに気づかせようと鏡面の如く、貴方はスクリーンに映し出そうとするのだ。

タイラーだけでかなりお腹いっぱいなのだが、本作には他にも様々な料理(芸術)に対して、本来の目的とは違う思惑によってその価値を貶めるような人や、価値を理解できない"音痴"共を痛めつけていく。この造り手側からの容赦のない介入こそが本作の恐ろしさだろう。一方的に盗視しているだけじゃ、消費しているだけじゃいられない状況とは、観客が造り手の視線を感じながら芸術に触れなければならないという一つのスリラーとして成功しており、実はそこが本作の根本的な面白さではないだろうか?

 

「腹が減った 食べたい」

ラストのハンバーガーについて、あのオチは、自分的には直前の映画スターとのやり取りがあってこそのシーンだと感じた。シェフは映画スターに「お前の映画がつまんなくてムカついた、俳優死ね」とご立腹である。本来その作品を評価する上で、その矛先は監督や脚本に向きがちである。しかしあくまで"画面内に映ってる俳優"に矛先が向けられる。確かに多くの観客にとって監督が誰かなんて不必要な情報で、視覚的に目の前の画面上の役者に文句が生まれるのは、至極当然のことである。この観客と俳優の関係性、言い換えれば芸術を見る上で認知する深度の違いが、アニャとレイフの"ハンバーガー"のやり取りに帰着する。
アニャは「今日出た食事が嫌い、腹が減ってる」と言う。それに対して面食らったように反応するシェフ。彼は要望に応えて彼女を島から解放する。
このやり取りで肝なのは、彼女が"料理"そのものを指摘したということ。もちろん"ハンバーガー"は彼の過去の写真からの連想されたメニューではあるが、それ以上に客と芸術の関係性において、「腹が減った 食べたい」という感情が、芸術に対する認知する深度ととして(画面に映っていた俳優に怒ることと)、先のやり取りと同レベルなのだ。

だからこそ彼女は逃げられたのだ。
他の解釈があるかもしれないが、結構自分はこれで腑に落ちている。

あのシェフは、あの空間は、より純化した提供者(芸術家)と消費者(観客)の関係を求めていたのだ。

 

最後に
上記の解釈を抜きにしても全体的にルックが珍妙で面白く、話をある意味"分かりやすい"というのも良作たりうる部分ではなかろうか。

この文章を公開することによって、この映画はある意味完成される。