劇場からの失踪

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『マッシブタレント』劇場映画批評124回 断絶ではなく、信頼を選び続ける。そしてダイレクトに愛を叫ぶ

題名:『マッシブ・タレント』
製作国:アメリカ

監督:トム・ゴーミカン監督

脚本:トム・ゴーミカン ケビン・エッテン

音楽:マーク・アイシャム

撮影:ナイジェル・ブラック

美術:ケビン・カバナー
公開年:2023年

製作年:2022年

 

 

目次

 

あらすじ

かつて栄華を極めながらも、今では多額の借金を抱えるハリウッドスターのニック・ケイジは、本業の俳優業もうまくいかず、妻とは別れ、娘からも愛想をつかされていた。そんな失意の中にあったニックに、スペインの大富豪の誕生日パーティに参加するだけで100万ドルが得られるという高額のオファーが舞い込む。借金返済のためオファーを渋々受け入れたニックは、彼の熱狂的なファンだという大富豪ハビと意気投合し、友情を深めていく。そんな中、ニックはCIAのエージェントからある依頼を受ける。それは、ハビの動向をスパイしてほしいという依頼だった。CIAはハビの正体が、国際的な犯罪組織の首領だと踏んでいたのだ。

 

引用元:

eiga.com

※以降ネタバレあり

 

 

とにかくびっくりするほどファンの為の映画なのだ。ニコラス・ケイジがニコラス・ケイジを演じる映画でありながら、ニコラス・ケイジの為の映画ではなく、"彼のファンの為"の映画なのだ。


それは単にニコラス・ケイジの新たな一面やファンの溜飲を下げるようなマニアックなオマージュを指す訳ではない。私が言いたいのは、ファンの存在が、映画スターを支え、映画スターを映画スターとして復活させる。挙句の果てに、その姿を同じ画面内で立ち会うことが出来るというその過剰なサービスが本作では提供される。それを可能にするのは二つ。

一つはニコラス・ケイジがニコラス・ケイジを演じるという奇抜な設定が、現実と虚構を曖昧にしていること。もう一つは、ハビというファンの代表者とも呼ぶべき存在の描かれ方にある。

 

ニコラス・ケイジがニコラス・ケイジを演じる

この設定と物語を単純に俯瞰で見た時、この作品の中心人物である落ち目の主人公を敢えて実在の人物にする必要性や、ましてやニコラス・ケイジにする必要がどこにあるのかと思ってしまう人もいるかもしれない。だが本作はニコラス・ケイジがニコラス・ケイジを演じるということのみでしか成立しない。
なぜなら、本作が現実と虚構(映画)をしっかり区別した上で曖昧にする為には、実在の人物を実在の人物がフィクションとして描く必要があり、その「実在の人物」と「フィクション上の実在の人物」を両立させるのは、スター性抜群かつあらゆるジャンルを横断してきた役者であり、プライベートとビジネスで変わらず"ニコラス・ケイジ"であるニコラス・ケイジだからではないだろう。

本作はジャンルを何度も変化させていき、最終的にはカーチェイスや銃撃戦などのアクション映画になっていく。ニコラス・ケイジはアクションなどお茶の子さいさいだが、それは「映画の中」だからだ。本作のニコラス・ケイジはリアリティー・ラインとしてはただの一般人であるはず。にも関わらず、後半では次第に人殺しをするまでに至っていく。
そこにはニコラス・ケイジがいる。だが、そのニコラス・ケイジは「現実のニコラス・ケイジ」なのか、それとも「映画内のニコラス・ケイジ」なのかが分からなくなっていくのだ。
それはある意味で、映画俳優がスクリーンに映りこんだ瞬間、別の人生/人格を内包してしまう奇天烈さであり、映画俳優という属性に宿るスーパーパワーなのだろう。頻りにニコラス・ケイジが演技方法を何かしら超能力のように話す姿が思い出されはしないだろうか?

 

世の中にはそんな虚実入り乱れる作品は沢山存在するが、本作は特にそのことに対して気取らずに当たり前として提示してくるのが上手い。というか、ニコラス・ケイジの振る舞い一つで依存仕切っているというのが特殊なのだ。つまり舞台/世界観ではなく、ニコラス・ケイジという人が虚実を曖昧にしているのだ。

そんな構造を自覚しないまま、あっけらかんとハッピーエンドを迎える本作には驚きを隠せない。単なるオマージュムービー的に終わらせようとベルトの話をしたりするんだぜ?なんなんだ…(褒め言葉)。本作ほど映画スターというものに対して陽性に向き合った作品もないのではないだろうか?

ハビという存在

彼は上記したようにファンの代表者であり、本作は彼に都合の良く、彼視点で理想化された世界と表現出来る。憧れの映画スターとお近付きになり、親友となつやて友情を育む。決してハビ視点の映画ではないのに、彼の理想に忠実な世界に見えてくるのが不思議なのだ。
ひとえには、本作においてハビとニコラス・ケイジにとって決定的に悪いことが起こらないルート選択を感じさせることがある。ニコラス・ケイジがスパイとして潜入していることがバレたか…!と思うと、ハビは全然違うことを考えているというギャグシーンが多用されることで、「悪いことは起きない」と印象づけられる。また映画ファンと映画スターの間にありがちな理想と現実のギャップ問題に行き当たらないのも作品としてファンの視線に立っているのを感じさせる。(『ファナティック』になりえないということ)
そういったファンの為の映画という印象を加速させるが、特にそれをブロマンス的に描いているのが良い。
とにかく二人は断絶ではなく、信頼を選び続ける。そしてダイレクトに愛を叫ぶのだ。そこには単なるコメディ以上に、感動できる暖かな関係性の結実がある。
そこが本作の白眉なのは間違いない。

 

映画スターと同じ空間にファンが存在していて、彼らが親友になって終わる話、その話に異常なまでの説得力を感じさせるのは、ニコラス・ケイジがニコラス・ケイジだからこそメタ的構造を抱えているから。それを鼻にかけず、映画スターの存在感、つまり「マッシブタレント」がそうさせてしまうのだと宣言するタイトル。
本当に素晴らしい作品ではなかろうか?