劇場からの失踪

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『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』彼女は「聴き分ける」 劇場映画批評109回 


題名:『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』

製作国:アメリカ

監督:マリア・シュラーダー監督

脚本:レベッカ・レンキェビチ

音楽:ニコラス・ブリテル

撮影:ナターシャ・ブライエ

美術:メレディス・リッピンコット
公開年:2023年

製作年:2022年

 

目次

 

あらすじ

ニューヨーク・タイムズ紙の記者ミーガン・トゥーイーとジョディ・カンターは、大物映画プロデューサーのワインスタインが数十年にわたって続けてきた性的暴行について取材を始めるが、ワインスタインがこれまで何度も記事をもみ消してきたことを知る。被害女性の多くは示談に応じており、証言すれば訴えられるという恐怖や当時のトラウマによって声を上げられずにいた。問題の本質が業界の隠蔽体質にあると気づいた記者たちは、取材対象から拒否され、ワインスタイン側からの妨害を受けながらも、真実を追い求めて奔走する。

引用元:

eiga.com

※以降ネタバレあり

 

彼女は「聴き分ける」

本作は何よりも"声"にひたすら向き合う映画だ。

ハーヴェイ・ワインスタインという映画界の絶対権力者の犯罪を暴き出す為に、NYタイムズの記者達(特に主人公たちミーガンとジュディ)が行った手段はひたすらに"声"を聴くことだ。声とは証言であり、告発であり、恫喝であり、感情の吐露であり…それら全ての声を聴く。いや「聴き分ける」と表現すべきかもしれない。

サバイバー達の恐怖や葛藤の滲む声に真摯に向き合う姿は、彼女達はただ"聴く"しか出来ないこと、そして彼女達の振るうジャーナリズムがその人を傷つけることになりうることを分かっていることが伝わってくる。またハーヴェイ・ワインスタイン側の恫喝に対する毅然とした勇気ある態度にも注目すべき"聴く"姿はあった。
そういったあらゆる"声"に耳を傾けることで、彼女達は証言を集め、真実を積み重ねる。そうして権力にに対抗しうる"真実"と"公平"を手に入れていくという話になっている。

"声"に着目するのなら本作で最も優れた演出はワインスタイン一派がNYタイムズに来たところだろう。ミーティング室でミーガンが一人で対峙する。彼女に彼らは虚言、恫喝、侮辱を繰り返すのだが、映画において彼らの声はどんどんフェードアウトしていく。それはつまり、ミーガンが初めて声を"聴かない"という選択肢を選んだということなのだ。そういう意味でも彼女は「聴き分ける」のだ。真実にたどり着く為に。

 

タイトルインの瞬間

2018年当時もやはり表面的な記事の内容や、MeToo運動にばかりフォーカスされていて、その立役者である二人の女性記者の話はあまり知る機会はなかった気がしている。その意味で本作は、「She Said」に至るまでの物語といえる。それを見事に表現しているのが、タイトルインの瞬間である。本作においてタイトルは全ての最後に起こる。
例の記事が公開され、映画はブラックアウト、テロップが流れ始める。その背景には「She Said」の文字がフェードインし始めるが、それは英語表記だけではなくあらゆる言語で行われる。
この「She Said」はMeToo運動で声を上げた女性達の表現であり、それは映画業界のみならず、世界中の女性に向けた映画であることを示す。それがまさに「タイトル」になっているのだ。こんなにも画面内に"タイトル"が溢れたことはあっただろうか。その「She Said」にこそ物語の真価があり、そこに至るまでの物語である。「タイトルを最後に出す」という行為において、こんなにも必然性を感じさせるものはない。

 

ワーキングマザー

この映画は決して娯楽的に優れている作品ではない。『大統領の陰謀』なども引き合いに出してもその点はより控えめに作られている。しかし本作の(当たり前に)私生活を持つワーキングマザーが巨悪に立ち向かっていく中で疲弊し、一方で家族に支えられている姿はこのジャンルにおいて滅多に観られないオリジナリティを感じさせているし、そこのリアリティーが何より女性へのエンパワーメントになっている。記事公開から僅か5年で本作を生み出せる「自浄作用」も羨ましく、本当に意義深い作品である。

果たして日本で園子温の悪行を描いた作品はできるのだろうか。日本の映画業界においてもそんな「自浄作用」があると切に願っている