劇場からの失踪-映画批評ブログ

映画をこよなく愛するArchによる映画批評

鬼才ジュネ監督の原点、肉躍る世紀末の巴里『デリカテッセン』

ジャン・ピエール・ジュネ監督&マルク・キャロ監督のタッグによる初監督作品。

今回紹介するのは「デリカテッセン」である。

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1991年に作られたフランスの映画であり、映画ジャンルで言えば"ダークコメディ"である。

舞台は核による終末戦争終結後、荒廃したフランスにある一軒の精肉店の入ったアパルトメントである。そこにかつて道化師をやっていたドミニク・ピノン演じるルイゾンが仕事を求めてやってくる。

設定がとても奇抜で惹かれるし風刺的にも取れるが、今作においてそれらは全て雰囲気づくり以上に機能していない。

同じように終末世界を舞台にしたプロヤス監督の初期作「スピリッツオブエア」がその荒廃した世界を利用して"夢を追う"というものを概念的かつ劇画的に見せたのに対し、一つのアパートメントだけで完結させ、変人たちのアンサンブルを軸にした本作においてあまり大きな意味合いはないように思う。

確かに終末世界を舞台にすることで"食人"という狂気に堕ちた人や状況の動機付けにはなっている。しかし、アパートに住みつく変人たちの奇行に雰囲気づくり以上の効果はないので動機は語る必要もない。作中「人は悪くなく、状況が悪い 人は人を赦すべきだ」とルイゾンが語る。映画においてこういったセリフはこの作品の顛末を表現する一言であったりするのだが、特にそういうセリフでもない。

それよりも低予算であるため色々な辻褄合わせが容易になるよう終末世界にしたという方がしっくりくる。

 

 

今作は「アメリ」などでジャン・ピエール・ジュネ監督作品に触れたものにとっては強烈であっただろう。

彼の代表作である「アメリ」以降、彼の作品は幻想のフランスを舞台に日常を独特のセンスでサンプリングし、観る者に懐古的な感傷を与える。

それに対し、「デリカテッセン」「ロストチルドレン」の初期二作品はキャロとのタッグで製作された作品であり、その影響が強いのか後の作品に対してとてもダークな世界観が描かれている。

そのダークな世界観はギレルモ的な美しさを内包したものでもなく、フィンチャー的な人の深層をつくものではない。ジュネの描くダークな世界観の素晴らしさは日常の不潔感、不快感をファンタジーに仕立てているところだ。彼の手をもってすれば排水溝の粘り気ですら、神秘的なものになってしまうのだ。

ジュネ監督の最近の作品が"臭いものに蓋をしたフランス"(黒人が出演しない等で批判されていた時期がある)を持つに対し、彼の初期作品がそれとはかけ離れた"下水香るフランス"を顕現しているとは実に面白い。

 

監督にとって処女作はその作家性が最も武骨に荒々しく出ているもの。どういった経緯があったのか。それは知る由もないわけだが、しかしながら今作には今に通ずる「変人たちの奇行によるアンサンブル、そこから生まれるユーモラスなシーンの数々」がある。

 

 

彼の最新作である「天才スピヴェット」がアメリカを舞台にしたハートフルなものであったように"変人達のアンサンブル"を軸にしながらもどんどんと初期作品から雰囲気が離れていく訳だが、偶には彼の原点である今作のような作品を作ってくれると私のような人間は嬉しがるのだが。