劇場からの失踪

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『C.R.A.Z.Y』レコードに刻まれるは家族の行方 劇場映画批評77回

題名:『C.R.A.Z.Y』
製作国:アメリカ

監督:ジャン=マルク・ヴァレ監督

脚本:フランコイズ・ボウレイ ジャン=マルク・ヴァレ

撮影: Pierre Mignot

製作年:2005年

目次

 


あらすじ

1960~70年代のカナダ・ケベックを舞台に、保守的な家庭で育った青年の葛藤と成長を、シャルル・アズナブール、デビッド・ボウイ、ローリング・ストーンズなど時代を彩った名曲の数々に乗せて描き出す。1960年のクリスマスに、ボーリュー家の5人兄弟の4男として生まれたザック。「特別な子」と呼ばれた彼は、軍で働き音楽を愛する父親と過保護な母親、それぞれ文武に秀でた2人の兄と問題児の次男を観察しながら少年時代を過ごす。1970年代になり思春期に突入したザックは、自らのアイデンティティと父親の価値観との間で葛藤するようになっていく。

引用元:

eiga.com

※以降ネタバレあり

今回紹介するのは大好きなジャン=マルク・ヴァレの処女作である『C.R.A.Z.Y』である。クリスマスに生まれた四男のザックを主人公に、他5人兄弟とその両親の家族の物語で、『ダラスバイヤーズクラブ』でも描かれた同性愛を取り扱った作品でもある。

ジャン=マルク・ヴァレ監督は2021年12月25日頃に亡くなっており、奇しくもクリスマスという題材に、不思議なリンクを感じてしまう。私は『雨の日は会えない、晴れの日は君を想う』から彼の作品にハマった身であり、処女作をこの度劇場で観れたことは嬉しいが、彼の最新作がもう観れないというのが、苦しくてたまらない。

その事を胸に秘め、早速本作について語っていこう。

 

 

同性愛のキリスト的な人物像

ザックはキリスト教の家庭にクリスマスに生まれたことや、後ろ髪が産まれた時から変色していることにより、特別な子として期待されてきた少年であり、いわゆるキリスト的な人物像を背負ったキャラである。中でも特殊能力のようなものが備わっていることや作中で3回も死の瀬戸際から生還している点から、その人物像をただの変人ではなく、キリスト教的な救世主像を露骨に押し出しているのは明白だ。
そこにキリスト教に敬虔とはいえない父親が、ザックに理想の人物像=自分を押し付けていくことで、ザックは自らのアイデンティティと父親に押し付けられる理想像に軋轢によって家族との間に亀裂を作っていくことになる。



しかしながら面白いのは、キリスト教的な人物像を連想させながらもバイ・セクシャルのキャラクターにしていることだろう。キリスト教が同性愛を禁止しているのは衆知の事実であろうが、そのことを踏まえると息子に押し付けられたキリスト的な人物像に対して、見事なカウンターになっていて面白く、彼の両親のようには面を食らう事実のはずだ。細かなディティールにおいても、幼少期のザックの後ろに常にあったキリストの絵画や像が、後半ではデヴィッド・ボウイになっていたのは痛快この上なかった。

 

家族とレコード

割れたレコードが家族の亀裂を表現し、その発端(原因)がザックであるのが「亀裂の原因」であるという示唆的であった前半。対して後半にはそのメタファーが意味をなさず、ただのレコードとし損壊したこと。また前半のレコードを破壊/失ったことがザックを実家に帰宅するきっかけになったこと。そして何より兄弟の名前がレコードからタイトルから取られていたこと。これらのレコードという一つの道具を用いて、描いていたのは同名レコードが父親の私物から解放される様が、家族の遍歴、家父長制からの開放を重ねた使い方に脱帽した。

音楽を流すだけではなく、フィジカルとしてあるからこそのモチーフ。サブスクじゃああいうのは出来ないだろう。他にもおねしょのシーンで、母親がエンパシー的に祈りを捧げている描写と砂漠で脱水症状で死にかけているシーンの対比も素晴らしい。そういったモチーフの連続が1人の人生を面白く描く秘訣になっていると感じた。

 

最後に

ジャン=マルク・ヴァレは『雨の日は会えない、晴れの日は君を想う』で出会ったときから好き監督だった。そんな彼の処女作はあらゆる場面でほとばしる才能を感じるものであった。見事。