劇場からの失踪-映画批評ブログ

映画をこよなく愛するArchによる映画批評

『コンタクト』-彼女は遥か遠くの隣人に何を想うのか-

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彼女はノイズの先に誰かが居るのを知っている。

通信が顔も知らない遠くの誰かと繋いでくれることを経験で知っている。

遠い星ヴェガから届く電波信号。かつてなく遠く、今人類にとって最も近い宇宙の隣人。

この未知との接触(コンタクト)、彼女だけがそのメッセージを受け取れる。

人類が孤独を知り、互いの存在に気づくとき、何を想い、何を選択するのか...。

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監督はロバート・ゼメキス

BTFシリーズや「フォレストガンプ」など歴史的名作の数々を生み出してきた名監督。

主演はジョディ・フォスター「羊たちの沈黙」がやはり代表作なのではないでしょうか?「タクシードライバー」の頃より今の落ち着いた女性の演技の方が好みですね。理知的で合理的思考の持ち主の女性を演じています。

 

あらすじ

「CQ、CQこちらW9 GFO 応答お願いします 誰かいませんか?」

少女は無線機を前に誰かとのコンタクトを試みる。

応答した相手はフロリダ州ペンサコラの顔も知らない誰か。はるか遠くの誰かと通信出来たことに嬉しそうな表情を浮かべる彼女はその晩、父親によその星に人はいるのか、と尋ねる。父親は純粋な疑問を抱く娘に穏やかな笑顔で言う。

「もし人間しかいなかったら、宇宙(スペース)がもったいない」

少女はその答えに満足したかのように瞼を閉じる。

 

父が心臓発作で倒れ、数年が経ち、少女は科学者になっていた。

彼女の研究は「地球外生物の探索」。宇宙からの電波信号を観測し、その存在を証明しようとしている。

だがしかし、世間はそんな研究は無駄であるという。妄想に金を払うことは出来ないと予算は縮小されるが、彼女は諦めない。

4年後、理解ある出資者の存在と執念の末、彼女はついに宇宙外からのメッセージをキャッチする。

それは地球人たちへの”コンタクト”。

我々はここに存在するという声。

そのメッセージを解読すると、そこには送り主のいる星ヴェガへの移動装置の設計図が... 

 

孤独を癒すSF

今作では地球外知的生命体との交信を行おうとするジュディーフォスター演じる主人公エリーアロウェイの物語です。

地球外生命体との交流を描く作品はこの作品の前後に沢山存在します。

今作以前だと「ET」「未知との遭遇」「2001年宇宙の旅」などが挙げられます。主人公の未知の存在への執着は「未知との遭遇」に連なるところがあります。

最近の作品だと「メッセージ」「インターステラー」などが、後は少しずれはしますが「トランスフォーマー」もこの作品群に入るかと思います。

こういったSF作品で描かれる”未知とのコンタクト”は人が”大いなるものもの一部”である、というテーマが根底に存在しています。

人は一人ではない。この広い宇宙の中で決して孤独ではない。大いなるものの中で我々は繋がることが出来るという希望のメッセージを有しています。

この作品もそういった作品の一つです。しかし、この映画ではそういった描写が少ない。

しっかりと描かれているのはアロウェイ博士の”孤独”です。

まず両親を子供の頃に失っています。大人になっても彼女は夢見がちな研究であるとされ、孤軍奮闘することになり、ついに地球外生命体とコンタクトするとなっても、政府や権力者の都合に付き合わされ、選抜する調査会で多くの人に囲まれて質疑する姿は彼女の孤独を強調しているように思います。

しかし、ここまで強調されてきた孤独はその"コンタクト"で変わります。その経験は自らの孤独はちっぽけなもので、いかに我々が貴重で大いなるものの一部であるかを彼女に気づかせるのです。

“我々は孤独ではない”そう結論づけるのです。

最後の雄大な自然のなかで、アロウェイが地平を眺める姿こそ孤独を表していますが、しかし彼女の内にその念がないことは見れば分かる事です。

このように主人公アロウェイを襲う多くの”孤独”を描くことで地球外生命体とのコンタクトの暖かさや美しさを際立出せてテーマを逆説的に語り、主人公アロウェイを襲う多くの”孤独”を描くことで宇宙規模での隣人愛を描いているのです。

 

科学と宗教

今作では”宗教”というものがとても重要な要素として扱っており、科学と宗教の繋がりをSF作品で描いている作品は珍しいと思います。

科学が生活に根付くように、より一層宗教は世界に根付いていて、それぞれが相手を脅かす概念。科学が神を殺した!と科学との対立を叫ぶ神論者の存在がいるように、科学と宗教の対立が描かれています。

実際に難しい問題です。宗教が科学を弾圧してきた歴史がある事は事実であるし、今の時代、科学の進歩は宗教視点で見れば神を殺そうとしているも同義です。対立してきたという過去は互いの溝を深めることになっていると思います。

 

しかし、この作品の結論としてはそれぞれは決して対立しあうだけの存在ではないということです。

目標とするのはどちらも「真理への到達」。

そして「オッカムの剃刀」で皮肉られたようにどちらも仮説や未知なもので成り立っている、実証主義の前では一笑されてしまう面があるということです。

この映画は「もし、地球外生命体の接触が起こった時、宗教はどうなってしまうのか?科学はどうなってしまうのか?」という問題を描いている作品でもあります。

そしてアロウェイとパーマーの関係こそ科学と宗教の共存の未来を暗示していると思います。

 

 

最後に

前述では語っていない素晴らしい所が沢山あります。例えばカメラワーク。鏡や反射を使った演出は素晴らしかった。地球外生命体のメッセージを解こうとするプロセスなんかも見ごたえのあるものでした。

個人的に気に入っているのは父親の言葉「もし人間しかいなかったら、宇宙(スペース)がもったいない」。

洒落も聞いているし、この一言がいつまでも語り継がれる様にウルッときます。

こんな言葉を紡げる大人になりたいものです。