劇場からの失踪-映画批評ブログ

映画をこよなく愛するArchによる映画批評

『ビューティフル・デイ』-ホアキンの見せるもう一つの内なる狂気と語らざる美-

――――――――――――――――――

過去に脅かされ、呼吸が出来ない。
体を蝕む過去は現実を侵食し生きる実感を奪う。
そう、俺は本当はここにいない。

だがあの出会いで変わりはじめる。
暴力的で狂気が滲む夜、彼女に出会う。

かつて我々が「レオン」「タクシードライバー」で体験した"魂が息を吹き返す瞬間"。
この映画はそんな瞬間をまた観せてくれる。
頭の中の雲はいつか晴れるかもしれない。あの日の天気のように。

――――――――――――――――――――

f:id:Arch_movie:20200608101946j:plain



 目次

 

Cast

ホアキン・フェニックス主演作、ジョーカーの約1年前に公開された今作で彼は"アーサー"とは異なる狂気を見せていた。
アーサーが伝染するような外なる狂気だったならば、ジョーは内なる狂気を持つ男だった。
親からの虐待、戦争でのPTSD、FBI時代のトラウマが彼を蝕んでいく。これらの過去が彼の現在を侵食し、それが自殺衝動という形で現れる。
人生に実感がないから自傷で自らを感じようとする。

内から生まれる静かな狂気、それが今作のホアキンだ。

 

 

 

今作の悲劇の少女ニーナを演じるはエカテリーナ・サムソノフ
彼女、恐ろしくかわいいです。そして15歳とは思えない大人びた印象を感じさせます。ナタリーを彷彿とさせますが、未だ、フィルモグラフィーは真っ白。この先の活躍は観てみたいですが、本業のモデルを優先するのかもしれませんね。

 

 

語らないことによる美しさ

今作では台詞で物語を必要以上に説明しない。特にジョーの過去や彼の感情については映像、演技により語られる。そしてその上手さたるや、それのなんと暴力的か。"孤独な男と傷ついた少女"の構図を物語としてではなく、映像と演技で美しく描ききったのだ。ここにこの作品の語らないことの美しさがある。

 

この"孤独な男と傷ついた少女"という構図、こんなブログを読む映画バカの皆様ならば、様々な映画が頭に過ぎるだろう。「レオン」かそれとも「タクシードライバー」か。他にもその文脈を持つ映画を思い出す者も居るだろう。
今作もその延長線にある。しかし、この映画ではまたもや語ろうとしない。

最後のダイナーで食事をするシーンで彼らは何処に行こうかと話す。どちらもあては無く、何処でも良さそうなふたり。この先2人に何が待ち受けるのか、追っ手や警察に追われる日々が待っているだろうか、それとも何事もなく、ふたりで生きていく生活が待っているのだろうか。何も決まらず、何も語られない。しかし、1つだけはっきりしている。


「今日はいい天気だ」
ニーナはそうジョーに微笑みかける。
英語にすると「It's a Beautiful day」
これまで暗闇を進んできたジョーの物語に光が差し込んでくる。木漏れ日のような暖かさを持つ光の様で明るい未来を予見させる一言は「まぁ、どうにかなるか」なんて楽観的な感情をジョーに抱かせる。

これまで過去に囚われていたジョーはこの瞬間、解放されたのだ

この台詞からタイトルが取られた訳だが、実は邦題と原題が全くもって異なっている。

「You were never really here。」
"貴方は本当はここには居ない"
これがこの作品の原題だ。そして、歌うタクシー運転手の口の動きに合わせて冒頭にタイトルが出る。

そして「Beautiful day」
作中の訳で"いい天気だ"この映画、最後となる台詞だ。そしてこの作品の邦題だ。

原題は彼の過去に囚われ、現実を生きられていないジョーの状態であり、邦題は彼のこの先どうにかなるさ、と希望を表している。実に素晴らしい邦題だと思う。
(「雨の日は会えない、晴れの日は君を想う」以来だ)

 

最後に

この映画90分しかなく、あと30分だけでいいから2人の逃避行か何か観せてくれ!と思ってしまったのが正直な所だ。これは「レオン」やその他類似作品の影響にほかならない。ふたりの始まりと終わりを観ることに慣れたからこその物足りなさ。
しかし、この作品は他の作品とは違う。始まりのみを語り、完結とする。これでいいのだ。

空模様と同じだ。いつ曇るか分からない天気だ。
晴れのうちに家を出るべきだ。雨が降ろうとそれはまた別のお話なのだ。

そんな美しい物語。