劇場からの失踪-映画批評ブログ

映画をこよなく愛するArchによる映画批評

剥き出しの魂が触れ合う筏の冒険『ピーナッツバターファルコン』劇場映画批評第12回

劇場で観た作品をピーナッツバターを顔に塗りたくりながら紹介する劇場批評回「劇場から失踪」第12回

 

 

施設に一人の男がいる。脱獄に2度失敗してもう後がない。でも夢を叶えるため、憧れの男に会うため柵をこじ開ける。

ボートに一人の男がいる。兄の死という喪失が彼を蝕み、捻じ曲げる。腹いせに他人の網に火をつけ、そのせいで彼は逃亡者となる。

 

ここに二人の社会のはみだし者がいる。社会的弱者といってもいい。そんな彼らは運命に導かれたように出会う。二人の魂が触れ合い、血の繋がりを越えた魂の繋がりが二人を"家族"にする。彼らは決して弱者じゃない。

夢追うマイノリティー達の希望の象徴、

ヒーローの名は「ピーナッツバターファルコン」

 

 

 

どうもArchです。今回紹介するのは『ピーナッツバターファルコン』。

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目次

 

ザックの夢から着想を得た映画

全ての始まりはザック・ゴッツァーゲンの「映画スターになること」という夢。

今作の監督であるタイラーニルソンとマイケルシュワルツはボランティア出会った彼の夢を叶えるために今作は生まれたのだ。

 

だから今作の一つの特徴として演者と登場人物のリンクがある。

例えば、主人公ザック役は演じているザック・ゴッツァーゲンを完全に投影したキャラだ。

名前が同じであることだけではない。彼はダウン症ながらも高校まで一般校で学び、演劇を学んでいる。正に作中のザックと同じ"夢を追う強さ"を持っている男なのだ。

彼の演技は説得力なんて言葉が生ぬるい程のリアルがある。彼のこれまで人生が反映された本物のメソッド演技なのだ。

だからなのかもしれないが、彼のダウン症という特性は今作では重要ではない。彼が健常者であっても成り立つ物語だ。なぜならこれは夢を追う強さを持った男の冒険の物語であり、その先で血を越えた繋がりをもつ家族をみつける物語だからだ。

 


美しい海を舞台にしたロードムービー

今作は二人のはみだし者がノースカロライナ州を舞台に旅するロードムービーだ。この舞台ノースカロライナにした点が今作を唯一無二のロードムービーにしている。

 

従来のロードムービーはカラッとした背景の中道路を進むのがイメージとしてある。

しかし今作はボートや筏を使い、時には海水のなかを歩いて進む。その様はニューシネマ的なロードムービーではなく、児童冒険小説的なロードムービーだといえる。

 

映画の大半は海を舞台にしている。海というのは人生の縮図としてのメタファー表現として映画ではよく使われている。そんな中で彼らは四畳半ほどの狭い筏で運命を共にしている。正に運命共同体、つまり家族として描かれているのだ。

海を舞台にすることでその"友達は選べる家族だ"というテーマを強調している。

 

そういった仕組みを抜きにしても、背景にこの自然を選んだのは素晴らしい。

彼らの旅はとても原始的な旅だ。雄大な自然がそれを引き立てていて、その原始的な旅だからこそのむき出しの魂の触れ合いがある。

 

 

 

最後に

今作を見るきっかけはシャイアーラブーフの存在がでかい。

 

自分は彼をトランスフォーマーで知ってからの大ファンで、彼の必死に走る様が特に好きだ。

彼の持ち味は尖った演技で、その役へのストイックに没頭していく様だったりは彼がこれまで演じてきたキャラにも通ずるところがある。(ボルグ&マッケンローなど)

今作も彼のイメージに近いキャラだと感じた。

特に彼は喪失を持つ男として描かれているが、彼の喪失が劇的に埋められるような描写はない。最初のほうで彼が兄を想って座っている描写があるが、それがいつの間にか無くなって彼の顔には笑顔がともっている。

それだけ彼らはシームレスに優しさに包まれていく。喪失を忘れるほどに。そして彼らは"家族"となる。

やはり家族の喪失は家族でしか埋められないのかもしれない。

 

このタイラーがどんどんと丸くなっていく姿がシャイアー自身が癒されているようにも思えた。これは完全に自分の妄想でしかない。だが、そこが一番涙腺に来たようにも思うのだ。