劇場からの失踪-映画批評ブログ

映画をこよなく愛するArchによる映画批評

映画批評『タイラーレイク-命の奪還-』-子連れ狼の決死の脱出劇-

 

今回紹介する作品は、2020年にNetFlixで公開されたルッソ兄弟製作,クリス・ヘムズワース主演のアクション映画『タイラー・レイク-命の奪還-』です。

監督を務めるのはこれまでルッソ兄弟作品でスタントマンとして活躍していたサム・ハーグレイブ。故に本作はアクションが本当に凄い!『1917』でも話題になった"疑似ワンカット"を採用したカーチェイスや、銃撃アクションも『ヒート』も顔負けなクオリティーである。しかしながら、本作の魅力はアクションだけではない。ストーリーの語り口も初監督とは思えない演出力を感じさせる。そこで本記事ではアクションとストーリーに分けて、本作を批評していきたい。

f:id:Arch_movie:20200504024244j:plain

あらすじ

 裏社会の傭兵であるタイラー・レイクは誘拐されたインド麻薬王の息子オヴィ・マハジャンの救出作戦を依頼される。救出は難なく終わったが、その依頼主は元から報酬を払うつもりはなく、罠に嵌められた救出チームは全滅してしまう。

誘拐を企てたバングラデッシュの麻薬王はダッカの街の軍や警察を操り、依頼主は息子をタイラーから取り戻そうとし、二つの勢力に追い詰められる孤立したタイラーは絶対絶命のなか、オヴィを連れながら街の脱出を試みるのだった。

 

 

スタントマン仕込みの高水準のアクション

本作は監督がスタントマン出身ということもあり、銃の取り扱い方や怪我ゆえの不自由な動き等、リアリズムを追求したアクションが徹底されている。戦闘中にスクーターが割り込んだり、一般車や一般人が映り込むなど、街中での銃撃戦ならではの見せ方も見事だ。なかでもオヴィを連れて街を奔走する"疑似ワンカット"を利用したシークエンスが凄い。

 

疑似ワンカットは二人が乗りこんだ車を追いかけるよう視点から始まる。車を後方から追いかけ、次の瞬間には二人の表情を捉えるために接近、そして社外から後部座席からのカメラワークにシームレスに繋いでいく。カーチェイスから戦闘シーンへ、タイラーのTPS視点から敵一兵士の視点なども見事に繋いでいる。

実はこれらが目新しい技術のひけらかしになっていないのが重要。疑似ワンカットという目新しい斬新な演出法を使いたいという欲が先行してしまうと、物語とアクションに歪みが出てしまうからだ。

 

例えば、『1917』ではコンセプトである"疑似ワンカット"を全編やる必要があったため、本来カット割りが効果的な会話のシーンなども疑似ワンカットにしてしまっている。作品全体としては結果的に疑似ワンカットの意義はあったが、このようにカット割りした方が良い場面は多々あるのだ。

その点、本作における疑似ワンカットは使いどころを要所に絞っている。そのおかげでタイラーとオヴィの埃と血に塗れた逃避行に臨場感を与え、カット無し故の連続した泥臭いアクションを見事に見せている。

言ってしまえば『1917』の泥臭い臨場感のみを本格ガンアクションムービーに持ち込んでいるのだ。

 

大人と子供がいる戦場

タイラー達はバングラディッシュの都市ダッカを軍や警察に追われながらも脱出するというのが大筋。しかし、彼らを追うのは軍や警察などの大人だけではない。麻薬王の元で命令に従っている子供達がタイラー達を襲い掛かるのだ。

この"大人と子供がいる戦場"が舞台になっていることが、本作の大きな特徴となっている。

 

本作では"戦場"という空間に親子が代表する大人と子供の関係が持ち込まれている。

タイラーは亡き息子から逃げてしまったことがトラウマで、それが彼の行動原理になっている。オヴィは裕福な家の犯罪とは無縁の世界から放り込まれた子供として描かれ、対称的にタイラー達を追う麻薬王の手下としての子供達も描かれている。

"大人と子供がいる戦場"を代表する場面といえば、タイラーを子供達が襲ってくるシーンだろう。

タイラーは己の矜持ゆえに子供を殺しはしない。銃をもって襲い掛かってくる子供達を殺さずにいなすシーンはタイラーの強者感を演出し、一風変わったスリルがある場面である。しかしこの、"子供故に殺さない"という選択がタイラーを最終的に追い詰めることになる。

戦場に子供と大人の関係が持ち込まれることで、不必要な情の概念が生まれ、泥臭い戦場にドラマが生まれている。そしてそれらが、主人公の行動原理とも結びつき、実に巧妙に物語の推進力になっているのだ。

 

 

だが、アクション全てが高水準であるのに対し、ストーリーは所々穴があると思う。そもそも何故、金持ちのバングラディッシュの麻薬王が金目的の誘拐する必要があったのか。また、ヴェスパーの言にあったオヴィ殺害の懸賞金についてなど、いきなりすぎないかなど、展開優先でアクション映画故のチープさが目に余るシーンが多々ある。

特に酷いのがオヴィがマクガフィンでしかないことだ。

オヴィは人殺しの麻薬王の父を嫌悪している。「生まれながらに人殺しの息子であること」がオヴィの抱える問題なのだ。

 

オヴィは殺される人にも家族がいるのだと、殺す側の父に憤っていた。しかし、そんなオヴィが本作中盤でタイラーを助けるために男を殺してしまう。殺しを嫌悪したオヴィが手を血に染めるというその展開なのだが、物語はオヴィの心情描写を挟まずに進んでいく。私はここでオヴィの人間性を描くべきだと感じた。

殺された男には妻が居て、妻のいるはずの家で殺される。にも関わらず妻は一切描写されない。ここで妻とオヴィが鉢合わせすることで、オヴィは「父と同じ世界に踏み入れてしまった」と葛藤するべきなのだ。しかし、そういったことが描かれないため、オヴィはタイラーというマリオにとって"ピーチ姫"のような物語の装置に成り下がってしまっている。これは惜しいことでキャラのバックボーンを考えれば、もっと魅力的に描けたはずだ。

 

 

ストーリーについて不満を書かせてもらったが、それは本来アクション映画に求める類のものではないだろう。"突っ込んだら負け"という奴なのかもしれない。これは高水準のアクションと良質なキャストや設定だからこそ求めてしまう"贅沢"なのだ。

個人的には唸るような演出があるのもまた事実である。最後のオヴィを序盤の水に足から飛び込んだタイラーに重ることで、オヴィが喪失に苦しんでいるように暗示した後、シルエットをちらつかせ、タイラーの再生とオヴィにとってのヒロイックなタイラーを見せる等の巧みな演出が存在するのも確かだ。

故にもったいないのだと思ったのだ。

 

最後に

初監督作品にしては出来すぎ、かつルッソ兄弟のせいで注目されすぎた『タイラー・レイク-命の奪還-』。次回作が楽しみである。