劇場からの失踪

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『ノースマン/導かれた復讐者』三つの言葉の変化 劇場映画批評100回 

題名:『ノースマン/導かれた復讐者』
製作国:アメリカ

監督:ロバート・エガース監督

脚本:ショーン ロバート・エガース

音楽:ロビン・キャロラン

撮影:ジェアリン・ブラシュケ

美術:クレイグ・レイスロップ
公開年:2023年

製作年:2022年

 


目次

 

 

あらすじ

9世紀、スカンジナビア地域のとある島国。10歳のアムレートは父オーヴァンディル王を叔父フィヨルニルに殺され、母グートルン王妃も連れ去られてしまう。たった1人で祖国を脱出したアムレートは、父の復讐と母の救出を心に誓う。数年後、アムレートは東ヨーロッパ各地で略奪を繰り返すバイキングの一員となっていた。預言者との出会いによって己の使命を思い出した彼は、宿敵フィヨルニルがアイスランドで農場を営んでいることを知り、奴隷に変装してアイスランドへ向かう。

引用元:

eiga.com

※以降ネタバレあり

 

1つのカメラで撮ることは逃げられないということ

独創的でパラノイア気味なインディーズ作品を手掛けてきたロバート・エガースが初のビックバジェットムービーに挑戦する。それも北欧神話に基づく復讐の英雄譚。バイオレンスな部分は共通しているものの今回はアクションに振って娯楽大作という趣きになっていて、新境地である。
本作はシェイクスピアのハムレットの元ネタである為、当然なのだが、主人公が父の仇である叔父を殺そうとするハムレット的な話になっている。
その為、シンプルというか既視感の強い話になっていて、肝心の"転"の部分である母上の告白もそこまで衝撃的でなかったりする。
ただ目を見張る圧倒的な映像のクオリティーによって、そのシンプルな復讐譚は唯一無二のものになっていく。
生活と神話が完全に同居した北欧世界を衣装、音楽、建築、あらゆる要素で組み上げていて、その隙のなさは凄まじい。今回、エガースは1つのカメラで撮ることにこだわっていた。つまり同じ場面の別視点が存在しないということであり、編集の段階での選択肢を用意しておくのではなく、最初から"画"を決めて撮影に挑んでいるのだ。必然的にそれは長回しのカットが増加することを意味し、アクションシークエンスを頭から最後まで追いかける画が多く存在していた。そういったカメラ一つ、長回しという制約の中で綻びが出ないように衣装をこだわり、ロケーションをこだわり、アイスランドに実在したヴァイキングの生き様を再現していたのだ。
長回しは単にリアルな肌触りを再現しているのみならず、彼らがもう「逃れられない」状況、つまり決死の状況を引き立てる。アムレートが大人になってからの略奪シーンでは、彼の蛮行だけでなく、背後にいる人々のドラマも描かれ、同時多発的な悲劇をヴァイキングの"日常"として描くことに成功していた。
また印象的なのはカットとカットをシームレスに繋ぐモンタージュの数々で、時間が跳び、さっきまでの現実は夢になる効果は、神話と生活の同化を推し進めていて、唯一無二の感覚に陥らせてくれた。

三つの言葉の変化

自分が何より好きなのは、「父上の仇をとる、母上を助け出す、フィヨルニルを殺す」という言葉だ。これはアムレートの決意の言葉であり、本作の向かう方向を示した台詞である。
だがこの台詞が良いのは、それが覆り「父上の仇をとる、母上を殺す、フィヨルニルを殺す」(劇中で言われた訳では無い)になり、そして子供を持つことで復讐が守る行為と同義になった時「仇をとる、自らの血を尊ぶ、運命を断ち切る」になることで、アムレートの成長を感じることになるからだ。
復讐に始まる話であり遂に成し遂げられるが、そこには達成感もなく、虚無感もなく、守ることができたという安堵とヴァルハラに迎えられたのだという幸福感のみが残るのも、その境地に至ったからなのだろう。
ただ一番自分が好き台詞は、母上に向かってアムレートが言う「毒の言葉!!」です。嫌なこと言われたら今度から使うことにします。