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「人は何の為に落ちる?それは這い上がるためだ」
そんな台詞がある映画を観た。多少青臭い台詞であるがそれは正しい。人は這い上がるために落ちるのだ。
落ちた先で出会ったアレクサンドリアとロイ。落ちて落ちて落ちて進むその"作り話"。そのオチは如何に?
インド出身のターセム・シン監督が構想26年,制作期間4年を費やして製作された
「君にささげる,世界にたった一つの作り話。」
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どうもArchです。今回紹介するのは「落下の王国」です。
題名:『落下の王国』
原題:『The Fall』
制作国:インド,イギリス,アメリカ
監督:ターナム・シン
脚本:ダン・ギルロイ
【紹介】
本作の魅力、それは「圧倒的スケールで描く"読み聞かせ話"」と「"現在進行形"で変化していく物語」にあると思います。
圧倒的スケールで描く"語り聞かせ話"
本作は二つの世界が舞台になっています。一つは現実世界である「病院」。もう一つは虚構である「作り話の世界」です。
本作では作り話の世界を「13の世界遺産,24ヶ国以上のロケーション撮影」で作り上げています。そうすることで広大な砂漠を遠景で撮るなどのスケールのデカい映像や世界遺産を利用したエキゾチックで美麗な映像を楽しむことができ、独特な衣装も相まって、他の作品では見られない迫力ある映像を観ることが出来ます。
そんな圧倒的映像力で語られるのがその場しのぎで作られた作り話であるというのもかなり面白い点。たわいもない作り話を本気で映像化するというアンバランスな構図、それも本作の独特な雰囲気を作り出しているのだと思います。
"現在進行形"で進む物語
本作は語り聞かせ話であるため、語り手と聞き手を強く意識させる作品になっています。そもそも物語(映画)とは必ず語り手(製作者等)と聞き手(観客)が必ず存在するはずで、その存在がいることはおかしなことではなくまた、本来それらは意識の外にあって気にせずとも物語は進むものです。
しかし本作は"物語の中の物語"という入れ子構造になっているため、物語を語り手聞き手のラインまで下がって俯瞰的に観るという行為を行っているわけです。
どういうことか軽く例を挙げると、作り話は語り手であるスタントマン"ルイ"の私情で都合のいいものに変わったり、また聞き手の”アレクサンドリア”のわがままで物語が中断されたりもするわけです。
「作り話=語り手と聞き手が簡単に介入される物語」という構図があり、つまり現実の状況を色濃く反映した作り話になっていくのです。
これがどういった効果を生むかというと、作り話が現実にリンクしていくことで現実世界における感情の機微や状況の展開が全て作り話で語られ、登場人物や状況の変化も作り話で完結してしまうのです。この構図がかなり面白く斬新、また上手いこと出来ているわけです。
ビジュアル面でもストーリーテリングの点でもかなり一風変わった作品。おススメです!
【考察】(※ネタバレ注意)
"落ちて"進む物語
本作のタイトルは『落下の王国』。原題は「The Fall」。このタイトルは物語が"落ちる"ことで進んでいくようになっていることから来ています。例えば本作に登場する二人の登場人物アレクサンドリアとロイはそれぞれが"落ちた"ことで出会うことになります。その出会いがロイの語る"作り話"に生み出すわけです。その後も落とす,落ちるといった行動で物語は進み、アレクサンドリアの落下によって物語のクライマックスは始まります。
"落ちる"というのが重要なファクターになっているこの映画。ここで少し考えてみましょう。実のところ"落ちる"とは本来”オチ”という形で、物語や映画に絶対的に必要なファクターでもあるのです。正直ダジャレではあるんですが、映画に不可欠な要素の"落ちる"で物語を進行する映画、あながち間違ってないと思います。
そして蛇足ですが、もうひとつ"オチ"を。この物語はアレクサンドリアがロイに惹かれていく物語でもあります。つまりアレクサンドリアが恋に落ちる物語であったというわけです。アレクサンドリアは幼すぎて自分の気持ちの名前を知らない、だから気づくのまだ先のことでしょう。でもそんな表層にそういった描写の無いことにこそ、純粋なロマンスを感じずにはいられません。
映画を観る映画としての側面、最後に
本作は「ニューシネマパラダイス」に代表する"映画を観る映画"という側面を持ち合わせています。"映画を観る映画"とはつまり映画賛歌をテーマにしたものであり、「映画って素晴らしい」と思わせてくれる映画のことです。
どういった点が映画賛歌であるかというと、映画でスタントマンをやっていたロイと映画を知らない少女アレクサンドリア等、そもそも登場人物たちが映画にまつわるキャラ付けがされています。またこの物語のオチは、アレクサンドリアが映画を通して、スタントマンのロイを観ることで"純粋に映画を楽しむ"幸福を表現しているのです。まさに「ニューシネマパラダイス」的です。
つまりこの映画は「映画を知らない少女が映画に出会うまで」の物語なわけです。それってすごくピュアな体験で、実にロマンチックではないでしょうか?