劇場からの失踪

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『ブロークン・ジェネレーション撲殺!射殺!極限の暴力少年たち』 月曜日は人生の終わり 劇場映画批評第81回

題名:『ブロークン・ジェネレーション』
製作国:アメリカ

監督:ペネロープ・スフィーリス監督

脚本:グレン・モーガン  ジェームズ・ウォン

音楽:ジョージ・S・クリントン

撮影:アーサー・アルバート


公開年:2022年

製作年:1985年

 


目次

 


あらすじ

ザ・デクライン」「反逆のパンク・ロック」のペネロープ・スフィーリス監督が、1985年に、実在の連続殺人鬼の記事に着想を得て、不安定な若者の絶望を描いたクライムドラマ。ドキュメンタリー出身のスフィーリス監督によるリアルな描写と設定や、主演2人の鬼気迫る演技により、殺人を繰り返す人間の恐ろしさを淡々とつづっていく。

ある小さな田舎町で高校を卒業し、工場で働く退屈な日々が待ち受けている2人の青年が、衝動的にハリウッドへ現実逃避の旅に出る。未来への夢や希望もなく、友情も次第に引き裂かれていく2人は、犯罪と殺人に手を染め、追い詰められていく。


引用元:

eiga.com

※以降ネタバレあり

今回紹介するのは、ペネロープ・スフィーリス監督の『ブロークン・ジェネレーション撲殺!射殺!極限の暴力少年たち』である。『アメリカン・グラフティー』のような青春映画と『地獄の逃避行』のような逃避行映画を繋ぐ地平に立つ本作は、特異点的な作品である。

では早速語っていこう。

 

殺人鬼の青春映画

 高校の卒業式を迎え、月曜日から街の工場で一生を働く毎日。クラスメイトは皆、夢を持ち、教師に将来を期待されているが、ボーとロイの2人には未来に希望はない。
 卒業直前の夜を描いた作品として古典的傑作の『アメリカン・グラフティー』や最新の傑作『ブック・スマート』などがある中で、その二作品に挟まれた80年代のLAを舞台にした本作は、差別的で暴力的で堕落したアメリカの狂騒の中に不良少年二人に投じさせる。上記した二作品の主人公には未来がある。未来があるからこそ不安があり、今を惜しむ気持ちが生まれ、青春がある。
 一方で本作のロイには未来はない。工場で働き始める「月曜日」、彼の人生は「月曜日」に終わってしまう。

 ロイは人生がそこでもう終わってしまうような焦燥感があり、その絶望感が自暴自棄に走らせ、これまで発露できなかった「殺人衝動」の赴くままに凶行へと駆り立てていく。

 本作は言わば、殺人鬼の青春映画である。だが、それは『アメリカン・グラフィティ』の青年が最後に憧れの女性とSEXをしようと奮闘するが如く、彼もまた内なる欲求に従ったに過ぎない。冒頭の「殺人鬼は一見して異常者に見えない」という言葉は、恐怖を煽るがこうして本作を見ると、一つのボタンの掛け違いで性欲などの欲望が殺人衝動になってしまった者たちへの一種の憐れみにすら感じてくる。その考え方を現実に持ち込むのを良しとはしないが、だが本作の青年たちの感じる生きづらさは社会規範の外側の者達全てに共通するものあり、本作はそこへと眼差しを向けるのがいい。

チョーク・アウトラインの予感

 ロイとボーの関係性がひとつの魅力でもある本作だが、「地元じゃ負け知らず」な2人のコンビが卒業と同時に、いや、この旅を通して、これまで見えなかった溝が見えてきてしまうのが切ない。ロイとボー、どちらにとっても次の「月曜日」は人生の終焉を意味する。しかしながらボーにとっては、どこかその終わりを定めとして、受け入れている節がある。数年後には「こんな人生も悪くない」なんて思ってしまう社会性が彼にはある。しかしロイは真の意味で月曜日を恐怖し、どうにか逃げ出そうとするのだ。

 2人の差異はそんな社会性、言わば「普通」を受け入れるか否かが原因で発生する。性欲についてもそうだ。ボーとロイの関係はホモセクシャルな関係に一見見える部分もあるが過剰なまでに否定する。一方でボーに嫉妬するかの如くSEXの相手を殺す。2人の性欲と別軸での密接な関係性は尊く、だからこそ次第に亀裂が入る様は見るに堪えない。 

 クライマックスは『ゾンビ』を思わせるスーパーマーケットでの逃走劇。一瞬ホームアローンのような攻防戦でもやるのかと思わせるが、ここに一切のカタルシスはない。  

 彼らは究極の選択を迫られる。ここで死ぬか、捕まるか。ロイとボーが交わした「月曜からも堀の中さ」という会話が効いてくる。
 銃を構えたボーはロイを撃ち殺す。弾みで打ってしまったのか、覚悟して撃ったのかが分からない刹那の間で撃たれた弾丸。ロイの表情にはボーがまさか撃つわけないという信頼が、ボーの言葉には、ロイに死よりも恐ろしい「月曜日」を迎えさせないための思いが表れる。
 こうして彼らの夜は終わる。冒頭のチョーク・アウトラインが予感させた死の影が、ロイにたどり着くことで。アメリカン・ニューシネマ的な味わいが深いパンクムービーとして、本当に見事な作品だった。