劇場からの失踪

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『ディヴォーション:マイ・ベスト・ウィングマン』マーヴェリックのなし得なかった着陸と格差の物語 劇場映画批評98回

題名:『ディヴォーション:マイ・ベスト・ウィングマン』
製作国:アメリカ

監督:ジャスティン・ディラード監督

脚本:ジェイク・クレーン ジョナサン・スチュワート

音楽:チャンダ・ダンシー

撮影:エリック・メッサーシュミット

公開年:2023年

製作年:2022年

 

 

目次

 

あらすじ

アメリカ海軍初の黒人飛行士、ジェシー・L・ブラウンと彼のウィングマン、トム・ハドナー。朝鮮戦争のさなか、危険な任務に挑むことになった2人がきずなを深めていく。

 

引用元:

ディヴォーション:マイ・ベスト・ウィングマン - 映画情報・レビュー・評価・あらすじ・動画配信 | Filmarks映画

※以降ネタバレあり

 

 

去年、アクション映画、特に戦闘機映画の一つの最高到達点として『トップガン マーヴェリック』が生まれた。その中で去年Netflixで米国で配信され、今年日本でも配信された本作は明らかに分が悪いのではないか?『大怪獣のあとしまつ』と『シンウルトラマン』ぐらい分が悪い。そう思っていた。


だが、本作は『トップガン マーヴェリック』が描こうとしなかった「戦時下の戦闘機乗り」という点に向き合い、見事な作品に仕上げていた。本作は『トップガンマーヴェリック』という最高傑作に対して、勝るとも劣らない輝きがしっかりとある作品だった。

詳しく話していこう。

 

キャスティング

本作は実在の人物である初の黒人パイロット、ジェシー・ブラウン(ジョナサン・メジャーズ)とそのウイングマンであるトム・ハドナー(グエン・パウエル)の物語である。
ジェシー・ブラウン演じるジョナサン・メジャーズは常に泣きそうながらも、耐えているような表情をいつもしていて、それが人種差別に晒される中で必死に、生き抜こうとする様を見事に体現していた。鏡に向かって自分を罵倒して鼓舞するシーンは特によく、『タクシードライバー』等のシーンと比較すると、白人と黒人の非対称性が浮き彫りになるようで面白い。

トム・ハドナーを演じていたのはグエン・パウエル。彼は二作連続して戦闘機乗りの映画出演しているというのも面白いのだが、よりによって役名は"トム"だというのが個人的にはグッとくる偶然だ。同じような戦闘機ものでありながら、役柄の演じ方は全く異なり、あのニヤケ顔に嫌味さが抜けていて、演じ分けがされているなと感じた。

 

50年代のパイロットの死

そんな二人を中心に据えた本作の舞台は朝鮮戦争の1950年である。完全に戦時下であり、彼らは戦争に参加するために"トップガン"のように訓練学校で飛行訓練を受けている。そういった舞台設定故に着目すべき点は、二つあるだろう。
一つは「戦時においてパイロットは如何なる危険に晒されるのか」
二つ目は「黒人であるジェシーは白人たち(特に白人のウイングマン)とどう関係していくのか」である。

 

1つ目に関して、本作は徹底的に戦争を恐ろしいものとして描こうとしている。ただやり方としてはゴア描写に頼らないのが面白い。銃弾で死ぬことや英雄的に死ぬこと、つまり戦争という状況の"仕方なさ"の中で死ぬのではなく、その外の無関係なところで呆気なく死んでしまう。

ただ死ぬ。それを本作は描こうとしていた。
着目すべきは「着陸」というアクションだろう。実は『トップガン マーヴェリック』において一番蔑ろにされていたのはこの「着陸」であった。例えば冒頭のダークスターの墜落からトムが生還するシーンは省略される。また後半のトムの機体が撃墜されたり、ブラットレイの機体が撃墜されても、当たり前のように生還する。それらは離陸シーンに対して明らかに省略の対象にされていた。理由は物語的な都合ももちろんだが、何よりもバイロットの生還率が上がったからというのがあるはず。
『トップガン』な80年代の話であるのに対して、本作は50年の話。脱出用の射出座席が本作には登場しないのは49年にようやく開発されたばかりのシステムだからであり、50年の頃は着陸が生死に関わるからのは必然だといえる為、『トップガンマーヴェリック』に対してよりフォーカスされるのは当たり前かもしれない。
そんな本作の着陸は常に「死因」としてまとわりつくものだった
ジェシーは一度失敗して事故にあいそうになる。既にここで予感は始まる。その後の訓練の中で友人だったキャロルは着陸に失敗して死んでしまう。そして最後にその予感は的中し、ジェシーは「着陸事故」によって死んでしまう。
戦争において「着陸事故」はどうしても虚脱感を感じさせる。誰かに殺された訳でもなく、ただ「事故」で死ぬ。50年代におけるパイロットに常に負っていた危険として、銃弾ではなく、食あたりや餓死、溺死や自殺、そんな非英雄的で言ってしまえば情けない死は戦争という場においては起こりうるのだ
そういった(ちゃちな言い方だが)”リアル”さというものが本作にはあり、そういった現実のディティールを史実ものとして見事に汲み上げフィクションにしていたと思う。だからこそジェシーの最期に悲しみが生まれ、それを受け入れるしかないトムの表情に心動かされるのだ。

LSOが垣間見せる違い

二つ目に関してはジェシー・ブラウンのもう一つの"戦争"と表現できるだろう。彼は初の黒人パイロットとして、白人社会の中で生き抜いていた。
主人公二人の関係性は比較的良好で、大袈裟なぶつかり合いもあまりない。それはトムが当時の白人の中でも理解のある人間だったというのはあるだろう。ただそれでも彼らには埋められない溝があり、それが彼らの振る舞いに浮き彫りになっていく。
そこでも「着陸」シーンは出てくる。母艦への着陸時には彼らを補助するためにLSO(Landing signal officer)というものが存在する。トムはLSOの指示に従い、満点の着陸をする。彼は常にそうやって指示に従うことで、生き抜いてきた男であり、命令やルールを遵守することが生きる術をだと知っている男だ。(指示待ち人間というわけではない)
一方でジェシー・ブラウンはそのLSOを無視する。彼は「LSOが自分のことを墜落させようとしているかもしれない」と言うのだ。彼はこれまで言われたことに従わずに来たからこそ、生きてこれた人間なのだ。なぜ彼らは別々の生き方をしてきたのか。そこに立ち上がってくるのが人種の格差から生まれた価値観なのだ。白人社会だからこそトムは従うことで順応してきた。対してジェシーは黒人だからこそ、言いなりには生きていられなかった。
歴然と出てくる溝、それは二人が友人であり、白人であるジェシー・ブラウンが比較的理解のある人間であっても、互いを好いていたとしても埋められない差なのだ。そこに当時ジェシーが感じていたであろう社会の肌触りが見事に表現されていて、グッときてしまった。

しかし、そこに歴然とした溝が提示された中、クライマックスはその溝を乗り越えてみせる。ジェシーはトムの言葉に"従って"着陸シークエンスに入る。彼のことを信用したのだ。そしてトムは上官の命令を"従わず"、ジェシーを助けに行ったのだ。白人と黒人の溝は埋められないかもしれないが、ジェシーとトムの溝は確かに埋められたのだと感じさせるやり取り、本当に素晴らしかった。

 

終りに

『トップガンマーヴェリック』において平然と存在していたコヨーテなどの黒人パイロット達もその源流にはジェシー・ブラウンがいたことを知り、そして『トップガン』や『トップガンマーヴェリック』の前に脱出が困難だった時代があったことに思い馳せることができ、そして『トップガン マーヴェリック』と対比し補完する形で、「戦争」という題材に向き合った本作は、是非セットで観るべき作品だという気がした。