劇場からの失踪

映画をこよなく愛するArch(Ludovika)による映画批評 Twitterもあるよ @Arch_Stanton23

MENU

『そして僕は途方に暮れる』映画の主人公になるには 劇場映画批評99回

題名:『そして僕は途方に暮れる』
製作国:日本

監督:三浦大輔 監督

脚本:三浦大輔

音楽:内橋和久内橋和久

撮影:春木康輔 長瀬拓

美術:野々垣聡
公開年:2023 年

製作年:2022 年

 

目次

 

あらすじ

自堕落な生活を送るフリーターの菅原裕一には、長年同棲している鈴木里美という恋人がいるが、あることをきっかけに彼女を裏切ってしまい、里美と話し合うこともなく家を飛び出してしまう。親友の今井伸二、バイト先の先輩・田村修、学生時代の後輩・加藤、姉・香、母・智子のもとを渡り歩く裕一は、バツが悪くなるとその場を離れ、あらゆる人間関係から逃げ続けていく。そんな中、裕一が出会ったのは、偶然に家族から逃げていった父・浩二だった。父との出会いにより、裕一の中で何かが少しずつ変わり始めていくが……。

引用元:

eiga.com

※以降ネタバレあり

 

 

「なんかでしかないんだけどごめんなさい」

こんなはっきりしなくて情けない謝罪シーン見たことないよ!!

とにかく全部から逃げて逃げて逃げまくって、奮起して頑張った末が「変わろうとしてるけど約束できないです」とか「なんかでしかないんだけどごめんなさい」とか「頑張ってみようと思います」とかそんな曖昧でただの意思表示の言葉しかないというのが酷すぎる(笑)。
でもそんな意思表示ですら、裕一の成長に見えてくる主人公の程度の低さ。主人公の人間性が常に超低空飛行で進んできた話だからこそ、相対的に"飛躍"に見える不思議。もうほんと最高だった。

詳しく語っていこう。

 

圧倒的な裕一のけん引力

本作で圧倒的に勝利しているなと思ったのは裕一のキャラ造形、そして造形の演出だ

冒頭の彼女の家での朝と夜のやりとりだけで「こいつは終わってる」と思わせる。と同時に「こういうやついるんだろうな」と親近感も感じさせる。極めつけは浮気を疑われて即逃亡する場面だが、本当に滑稽極まりなく、主人公の反復される動作として印象づけられる。この冒頭の下りだけで"菅原裕一"という人物の底が知れる。
そんなどうしようもない男が、携帯に入っている連絡先を頼り、結局片っ端から逃げていくというのが話の筋。
同郷の友達、バイト先の先輩、元サークルの後輩、姉貴、母親と渡り歩いていき、そしてとことん逃亡する。面白いのは主人公裕一だけが「関係は断絶された」と思っていること。(相手は話し合おうと思っていたり、そこまで怒ってなかったりする)

つまり勝手に追い詰められていくのだ。

さらに追い込むのは父親の存在。完全に主人公と同類である父親もまた勝手に気まずくなって孤独になった人で、誇らしげに息子に対して、「逃げて逃げて逃げまくれ 収まるところに収まるから」とか、"映画の主人公"にでもなった気分で「面白くなってきやがったぜ」と言えばいいなんてことを言う。
そんな父親は元妻の緊急事態にすら逃げようとする。その姿をみて、裕一はようやく「こうなりたくはない」と思うのだ。
そこから上記した"謝罪"のシーンになっていくのだが、そこに至るまでとにかく主人公は意気地がなくて黙って状況を流そうとするのだ。呆れてしまうが、その人物造形のディティールの細さ、そして自分の一部を見出してしまう共感性の高さ。そこに本作の良さが詰まっている。

 

映画の主人公とは

このキャラクター造形はある意味で、彼の主人公性を強調して、彼を中心に回る話だと印象づけられる。説話構造としては狂言回し的で、色々な人に出会う話なのだが、それぞれのキャラクターのエピソードを聞いて回るというより、それぞれの人物に対してリアクションする裕一の一面にこそ意図があった。
特に先輩に媚びてる姿と後輩にイキってる姿の対比が面白かったりで、常に話の中心は主人公である裕一なのだ。
しかし、この物語は1度目の"END"を迎えた後、彼にフォーカスされるが故に見えなくなっていた周りの人々の話が明かされる。END以降、謝罪したりして変わろうとしている姿が見受けられ、成長、そしてハッピーエンドという感じになるが、実は彼女は裕一が失踪している1ヶ月の間、友人である伸二と浮気をしていたという衝撃の事実を知ることになる。
これまで逃げて逃げて、でも誰にも見限られてはなくて、皆に許して貰う。そんなわがままに話の中心に据えられた"主人公"は、改心して向き合うことで"自分以外"の物語をようやく知るのだ。


"映画の主人公"というメタ的な表現が定期的に出ることで、裕一は主人公として振る舞い優遇されている存在として強化され、自分の物語だけに集中して、ハッピーエンドへと突き進むことを許されていた。
だが、それがポッキリと折られる。成長して周りと向き合おうとしたが故にいきなり話の中心がずれるのだ。
自分はここで父親の「逃げてたら、勝手に収まるところに収まる」という話を思い出した。この台詞は父親の視野の狭さを物語る。なぜならその人が逃げてる間、誰が不幸を被ったり、努力して、事態は収束し、そしてそこには"物語"が生まれているからだ。
そう思うと"浮気返し"という結末は痛快極まりない。
ただそこでくじけず、「まだ終わってねぇ!」と勇ましく背後のカメラに目線を送るのも成長した主人公裕一の姿なのだ。
冒頭の怯えてるような振る舞いと対比になり、俺が主人公だという意思の表れでもあり。TOHO新宿に向かっていくのはちょっと笑うが、それでも分かりやすく"映画の主人公"であろうとするカタルシスある終わり方になっていた。
何もかもから逃げた男が向き合うまでの話であるし、メタ的に主人公が無自覚に主人公であったが、自覚的に主人公であろうとするまでの話でもある。そこがグッときた。


余談

映画趣味を辞めた男達の物語というもの実は珍しく興味深く観ていた。自分が映画の趣味を辞めるのは想像がつかない。だがなんか本作を観てそうなったら終わりだなという気がした。ある意味で本作は、「映画に向き合う話」でもあったのかもしれない。

豊川悦司の実家に帰ってきて震えながらタバコを吸うシーンがベストアクト。クズの情けない親子最高だった。