劇場からの失踪

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『エルヴィス』バズ・ラーマン式ライドのムービーの極地 劇場映画批評第65回

題名:『エルヴィス』
製作国:アメリカ、オーストラリア

監督:バズ・ラーマン監督

脚本:バズ・ラーマン、クレイグ・ピアース、Sam Bromell

音楽:エリオット・ウィーラー

撮影:マンディ・ウォーカー

美術:Damien Drew,Ian Gracie, Tuesday Stone  Christopher Tangney,Matt Wynne
公開年:2022年

製作年:2022年

 

目次

 

あらすじ

スターとして人気絶頂のなか若くして謎の死を遂げたプレスリーの物語を、「監獄ロック」など誰もが一度は耳にしたことのある名曲の数々にのせて描いていく。ザ・ビートルズやクイーンなど後に続く多くのアーティストたちに影響を与え、「世界で最も売れたソロアーティスト」としてギネス認定もされているエルビス・プレスリー。腰を小刻みに揺らし、つま先立ちする独特でセクシーなダンスを交えたパフォーマンスでロックを熱唱するエルビスの姿に、女性客を中心とした若者たちは興奮し、小さなライブハウスから始まった熱狂はたちまち全米に広がっていった。しかし、瞬く間にスターとなった一方で、保守的な価値観しか受け入れられなかった時代に、ブラックカルチャーを取り入れたパフォーマンスは世間から非難を浴びてしまう。やがて故郷メンフィスのラスウッド・パークスタジアムでライブを行うことになったエルビスだったが、会場は警察に監視され、強欲なマネージャーのトム・パーカーは、逮捕を恐れてエルビスらしいパフォーマンスを阻止しようとする。それでも自分の心に素直に従ったエルビスのライブはさらなる熱狂を生み、語り継がれるライブのひとつとなるが……。

引用元:

eiga.com

※以降ネタバレあり

 

今回紹介するのはバズ・ラーマン監督の『エルヴィス』である。現在のロックの形を作ったと言っても過言ではない、元祖「キング・オブ・ロック」のエルヴィスの人生を栄光の表側だけでなく、晩年や苦悩の私生活をトム・パーカー視点で描きだしていく。あまり知られていないエルヴィスの一面をバズ・ラーマンらしい距離感で描いた見事なライドムービーになっていて、満足度の高い作品である。では、早速語っていこう。

 

とにかく失速しない

『ムーラン・ルージュ』のバズ・ラーマン監督らしい「振り返る過去が持つフィクション性(不確実性)」「ライド感」が100%発揮される作品で、見事という他ない。
『ムーラン・ルージュ』の評をそのまま持ってきてもいいくらいの共通項が沢山あるわけでいくつか言及する。(過去の記事を参照頂きたい)

例えば『ムーラン・ルージュ』が19世紀末を舞台にしながらオアシスやビートルズの楽曲を惜しみなく使って見せたように本作においても、エルヴィス・プレスリーのオリジナルとオースティン・バトラーのカバー、そして現代風なmix楽曲が流れる。それは時代考証やノスタルジーをガン無視した劇伴の使い方で、過去を郷愁に浸り賛歌するのではなく、そもそもとして「遠い過去はフィクションと同義、だからこそ飾り立てて派手に"神話"にしてしまおう」というスタンスが表れている。それが本作に実話を扱うヤダみを取り除く堂々としたストーリテリングをもらたして、とにかく失速しない。私が特徴として挙げたライド感もそのスタイルと独特な編集感も相まって発揮されている。

 

エルヴィスを殺したのは?

同様な作品として『ボヘミアン・ラプソディ』や『ロケットマン』が挙げられるが『ボヘミアン・ラプソディ』のように神話的でありながら、その虚飾性を自他ともに自覚する作りになっていて、その一方で『ロケットマン』のように「皆の知らないエルトン・ジョン」という一個人の内面にフォーカスしながらも、その内外の不一致がもたらす死という結末に逆算的に描く手法は、亡くなっているエルヴィスならではの手法。どちらとも共通点があり、どちらとも違う。深く比較してみるのも面白いだろう。

エルヴィスを殺したのは何なのか?という問いが本作において、1つの命題として掲げられる。その答えを「ファンの愛」とした本作はトム・パーカー大佐のナレーション(主観)によってその横暴な解釈を許容するが、明らかにトム・パーカーお前だろうが!と短絡的に思ってしまうのは私だけだろうか。それを前提にはしつつも、多分エルヴィス・プレスリーを殺したのは"エルヴィス・プレスリー"という偶像を絶やさないようにしたエルヴィス・プレスリーの人間性なのだろう。それは足の震えがセックスアピールとして認識されたように、エルヴィスが至って真面目な家族想いの男でありながらも不良や非行の象徴にされてしまったように、独り歩きする"エルヴィス・プレスリー"に彼が答えようとしたからだと本作はいくつもの描写て決定づけているように思う。

 

さいごに

実際のライブやニュース映像と、VFXで顔を入れ替えられたりするシーンとの融合、そして1968年の伝説のカムバックの完璧な再現も見事。白眉は間違いなく「trouble」のシーンでしょう。
素晴らしい映画でした。