劇場からの失踪

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『ソー:ラブ&サンダー』「愛」とか「神」とかの曖昧さ 劇場映画批評第66回

題名:『ソー:ラブ&サンダー』
製作国:アメリカ

監督:タイカ・ワイティティ監督

脚本:タイカ・ワイティティ

音楽:マイケル・ジアッチーノ,Nami Melumad

撮影:Barry Baz Idoine

公開年:2022年

製作年:2022年

 

目次

 

あらすじ

サノスとの激闘の後、ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーの面々とともに宇宙へ旅立ったソー。これまでの道のりで多くの大切な人々を失った彼は、いつしか戦いを避けるようになり、自分とは何者かを見つめ直す日々を送っていた。そんなソーの前に、神々のせん滅をもくろむ最悪の敵、神殺しのゴアが出現。ソーやアスガルドの新たな王となったヴァルキリーは、ゴアを相手に苦戦を強いられる。そこへソーの元恋人ジェーンが、ソーのコスチュームを身にまとい、選ばれた者しか振るうことができないムジョルニアを手に取り現れる。ジェーンに対していまだ未練を抱いていたソーは、浮き立つ気持ちを抑えながら、新たな「マイティ・ソー」となったジェーンとタッグを組み、ゴアに立ち向かうことになる。

引用元:

eiga.com

 

※以降ネタバレあり

 

今回紹介するのはマイティー・ソーシリーズ第四作である『ソー:ラブ&サンダー』である。前作の『マイティー・ソー:バトルロワイアル』のタイカ・ワイティティ監督が続投し、相変わらずの極彩色でコメディーに振り切った快作になっている。ただ今回はかなり不満点がある。そのことについて語っていきたい。

 

MCU内での神とは

タイカ・ワイティティらしいコメディやジェンダーレスでカラフルな世界観の構築は、相変わらずでマイティー・ソー一作目、二作目と比べても、この路線は楽しい。

ただ映画において在り来りで便利な「愛」という万能ワードをワイティティは、『ジョジョラビット』ではしっかりと定義して使用出来てたはずなのに、本作はぼんやりとしたワイルドカードとしての表現になっていたのが残念。

それが代表するように、ストーリー面や映像面において全体的に難があるように思う。

まずは冒頭のゴアのオリジン部分の映像から雑。

セットで撮られたのが丸分かりな映像感とクリスチャン・ベールの演技が分かりづらいメイクも相まって、このシーンに大切な「絶望」があまり伝わってこない。
というかそもそも、神という概念がMCUの中で曖昧なのが問題ではないか。MCUフェイズ1では神=地球人が接触したことのある宇宙人ぐらいの扱いだったのだが、本作や『エターナルズ』のセレスティアルの登場によって、「同列の種族」の違いなのか、もっと概念的に違うレイヤーの存在なのか、よく分からない。
単に別種族ということだけでなく、明らかに信仰対象としての"神"のニュアンスがあることが本作で示唆されるために、混乱を生み"神殺し"ゴアが殺そうとしている対象が、主にどこの誰なのか曖昧にされている。
これを一例にゴアのやろうとしていることは具体的に分かるが、どうも曖昧な印象になっている。特に計画のためなのは理解できるが、誘拐する対象が「子供」だったのは何故なのかなど、決定的な理由が欠けている。

 

子供を戦わせるということ

また他にもクライマックスの子供の戦う姿ってどう見ればいいのか、受け取ればいいのだろう。観方によっては、「子供達の自由意志」を尊重しているようだが、明らかに大人が時間稼ぎの為に子供に武器を持たせてる描写でしかない。(加護はあれど)子供が敵を倒すのはキッズムービー的なユーモラスさはあるが、緊張感は失われてはいまいか。というかそもそも全編戦闘するという行為がめちゃくちゃ軽いノリで描かれるのがおかしい。特に冒頭のGotGの下りとラストの部分。戦争でその背景を無視して負けてる方に強大なパワーを以て介入するというのが、ヒーロー行為というのは安直すぎる。『ジョジョラビット』のナチスを笑いものにするスタイルには賛成だが、そこまで単純化できる戦争は少ないだろうに、子供や戦争という題材とワイティティの作家性のかみ合わせの悪さが出てしまったように思う。

 

 

最後は救われて欲しかった

多分自分が期待してたのは、GotGのように地球を離れて旅をするソーだったし、エンドゲームのラストはその地球のヒーローを引退した点が本当に良かった。にも関わらず、映画で描かれるのは地球のアスガルドを起点とした物語で、何度も行ったり来たりするのだからはっきりいって萎える。出来ればGotGとの旅の中で今後の答えを見つけるソーが観たかったし、極限にまで悟りを開き、暴力を捨て去ったソーと、その後継者として活躍するジェーンのマイティー・ソーのオリジンが描かれていて欲しかった。ジェーンの扱われ方に関しては、結局消費されるヒロインからは抜け出せていなかったように思う。どうか最後は救われて欲しかったし、恋愛から脱した「愛」をジェーンを通して描いて欲しかった。他のMCU作品で続々と女性ヒーローが後継者として登場する中に、ジェーンがいないのは悲しいことだ。

 

最後に

ただMCUの中でも最も多くのものを失ったソーだからこそ、ゴアとの対立はよく出来ている。ソーは喪失と本当に長い間をかけて向き合っているので、本作ではほとんど「喪失」に対しては悟りを開いているような状態で、ゴアの「喪失」を何よりも分かるはず。もっとやり取りがあった方がいいとは思うが、ラストの下りで「愛」だと諭すのは説得力はあったと思う。