劇場からの失踪-映画批評ブログ

映画をこよなく愛するArchによる映画批評

『砂上の法廷』-法廷に真実はない-

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洋画に登場するシーンではよく見かける宣誓。

こちらがその宣誓文である。

 

I swear by Almighty God that the evidence I shall give to the court and jury shall be the truth the whole truth, and nothing but truth.

「法廷及び陪審に対して行う証言は、全て真実であり、真実以外の何ものでもないことを、神にかけて誓います」

 

この宣誓とは被告や証言を行う者は神に真実を述べることを誓うことを指す。(神に、というのが日本にはない風習ですね。)

 

今作「砂上の法廷」の原題は「Whole truth」である。 宣誓文の中にもある単語、意味は「偽りない真実」。

最後まで観た人にとってここまでの皮肉はないでしょう。自分が観た後に原題を知った時は鼻で笑ってしまいました。

 

 あらすじ

父親しの罪で裁判にかけられる息子マイク・ラシター。彼を弁護するはキアヌ・リーブス演じる敏腕弁護士リチャード・ラムゼイ。(実はキアヌの真面目な役柄に期待して観た)ナイフが胸に刺さっている父(ブーン・ラシター)の死体の脇に座り込み、自白ともとれる発言をしている姿を警察に見られ、ただでさえ不利な裁判。それなのにも関わらず、マイクは弁解もせずラムゼイにも口を開こうとしない。

この絶望的な状況にラムゼイは弁護士としての威信をかけて挑んでいく。

 

物語のほとんどが法廷で描かれいて、裁判での弁護士の立ち回りの意図などもラムゼイの語りで説明されて、本格的な裁判ものとして見応えがある。本編を三分の二程度で観るのを止めた人には、法廷という場で真実を追求し、罪なき虐待を受けた青年に起こった悲劇の物語となるだろう。

 

しかし、ラスト全てが覆る。

 

細かい内容は避けるが、映画の趣旨が全く別のものになるのだ。

この映画の題「Whole truth」に悪意しか感じられない。この映画が描きたいのは「法廷における真実の追求」ではなく、「法廷に真実を追究する機能は存在しない」という残酷な事実である。

証人の誰もが宣誓し、平気で嘘を吐く。宣誓など意味はなく、

 

真実に価値はない。

 

それが今作のテーマである。騙された!というよりも最後のカットのラムゼイの如く、脱力感に襲われる作品であった