劇場からの失踪-映画批評ブログ

映画をこよなく愛するArchによる映画批評

『マンチェスター・バイ・ザ・シー』-乗り越えられない過去と共に- 

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心に傷を抱え故郷を離れて孤独に生きる男がいる。バーでの女性のアプローチも無視し、心此処にあらずといった様子で日々を無為に過ごす。

その彼の元に故郷の兄の訃報が届く。彼は故郷“マンチェスタ-“に戻らなければならなかった。忘れたい過去、すべてを置いてきたはずの故郷に。

リーには故郷を離れた理由がある。それは過去にこの町で子供を火事で失ったからだ。 故郷の全てが忌まわしい過去を思い出せる。

故郷に戻った彼は兄の死体と対面する。泣く訳ではない。なぜなら彼が心臓の病気により先が短いことは周知だったからである。

病院を後に兄の息子パトリックを迎えに行くリーはパトリックと数年ぶりに会うことになる。リーは兄の弔いを済まし、また故郷を後にボストンに戻ろうとする。しかし、兄の遺言によってすべてが変わる。

その内容はこのマンチェスターに戻ってくること、そしてこの町でパトリックの後見人になることであったのだ。

ここから冬春をまたぐ小さな港町での物語が始まる。

 

 

主演はケイシー・アフレック。「オーシャンズ11」シリーズや「グッドウィルハンティング」などでおちゃらけた脇役のイメージが強かったが、今作ではその様子はなく、しっかりと作品を支える主役としての存在感がありました。アカデミー賞,主演男優賞も受賞。この年は「はじまりへの旅」のヴィゴ・モーテンセンや「ハクソーリッジ」のアンドリュー・ガフィールドなど強者ぞろいでしたね。脇を固めるは兄ジョー演じるカイル・チャンドラーや最近引っ張りだこの元妻ランディー役のミシェル・ウィリアムズ。パトリック役にルーカス・ヘッジズ。自分的には「レディーバード」のイメージが強い。

 

 

今作の舞台「マンチェスター・バイ・ザ・シー」これは実際にある町の名前である。アメリカのマサチューセッツ州エセックス群にある港町。ボストンの保養地的側面もあり、美しい自然と人々の生活が混ざり合う町である。

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今作でもその美しい自然の描写が挟み込まれている。しかし、どれも寂しげである。(画像のように晴れているシーンは少なく、曇っているシーンが目立つ)

冬の灰色の空と荒れる海。その海と空の間を飛ぶカモメもどこかこの映画の寂しげな空気を象徴づけている。

 

 

 

 

誰もが故郷というものを持つ。故郷には思い出があり、家族がある。

 

リーにとって故郷は忘れたい過去そのものである。

それに対してパトリックはこの町を出たことがない。この町が彼のすべてである。

 

そんな二人の対比を軸に今作は描かれていた。

 

今作で触れておきたいポイントは“リーは故郷に戻りどう変わったか”

彼は故郷に帰り、甥のパトリックと過ごし、元妻ともかつての悲劇について話した。

しかし、それでも彼は"変わらなかった"。彼の傷は癒えなかった。

ラスト近くのキッチンでの会話

パトリックの

「ここに住めば?」

という懇願に対し、リーは絶妙に間を空けて口を開く。

「乗り越えられない、辛すぎる」

 

この台詞こそが今作をテーマであると思う。過去の子供に起こった悲劇や兄の死、それはリーにとってそれは簡単に乗り越えられるものではない。

この台詞は今作を見たものならば納得のいくものだったと思う。それはリーのキャラクター造形の素晴らしさから来るものだと思う。

どこか主人公的存在感を感じさせないケイシーの演技と脚本が物語に踊らせられているキャラではなく、実在する人間であると感じさせるのだ。

それこそが今作の魅力だと思う。

 

 

 

 

余談だが

ケイシーの演技で一番素晴らしいのはパトリックと彼女が船を操作している光景を後ろで見るリーがにやりとするシーン。兄を思い出したのか、若者のじゃれつきに頬ガ緩んだのか。リーが唯一笑うこのシーン(現在の時間軸で)がとても気に入っている。