劇場からの失踪

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『別れる決心』溺れておぼれて、潤う 劇場映画批評113回

題名:『別れる決心』
製作国:韓国

監督:パク・チャヌク監督

脚本:パク・チャヌク チョン・ソギョン

音楽:チョ・ヨンウク

撮影:キム・ジヨン

美術:リュ・ソンヒ
公開年:2023年

製作年:2022年

 

 

目次

 

あらすじ

男性が山頂から転落死する事件が発生。事故ではなく殺人の可能性が高いと考える刑事ヘジュンは、被害者の妻であるミステリアスな女性ソレを疑うが、彼女にはアリバイがあった。取り調べを進めるうちに、いつしかヘジュンはソレにひかれ、ソレもまたヘジュンに特別な感情を抱くように。やがて捜査の糸口が見つかり、事件は解決したかに見えたが……。

引用元:

eiga.com

※以降ネタバレあり

 

潤い溺れる

ヒロインであるソレはイジュンに孔子からの引用を口にする。
作品内でどう字幕されていたかは定かではないのだが、同じ意味のものをネットから拝借する。
「知人は水を楽しみ、仁者(道徳的に完璧な人)は山を好む。」
この言葉を踏まえて本作をみると、なんとも皮肉な引用だと思わないだろうか?
言うまでもないが、本作は水とそれにまつわる雪や海、霧といったものをモチーフとして扱う。イジュンは映画冒頭では"乾いている"。外からは順風満帆に見えても週末婚で仕事と妻の家を行き来する生活や慢性的な不眠症によって彼は刺激のない生活に退屈し、疲弊している。ドライアイなのか、時折彼は目薬を差す姿が何より彼の"乾ききった"様子を表象している。
そんな彼がソレとの出会いによって"潤っていく"。イジュンの日常には刺激がもたらされ、妻には抱いていない愛に突き動かされていく。彼の人生はソレによって潤っていく。それは次第に画面を征服していく雪や霧、大海といった水によって可視化される。山の中でイジュンとソレだけに降った(かもしれない)雪への示唆がその証左であり、ラストの画面いっぱいの海がその総仕上げとして用意されている。
イジュンの心が退屈な日常を抜け出し、愛にのめり込むことで潤っていくという筋書きに対して、彼の心境や状況はドツボにハマっていく。まさに"溺れる"と表現できるような状況で、本作ではそれを「崩壊しました」と表現する。つまり"水"というモチーフを利用して潤いながら溺れていく男の話を描いているのが本作なのだ。


シンプルな話をどう語るか(演出)

実は自分、パク・チャヌク監督の作品は初鑑賞でなのだが、あの異様なアングルのショットや執拗なマッチカット、そして切れ味抜群のジャンプカットの扱い方はいつもの事なのだろうか?
パンフレットによるとこれまでの作品(『オールドボーイ』等)にあったエログロの強烈な描写を今回は控え、物語をどう語るか(つまりカメラワークや演出によって感情をどう表現するか)に着目したそうだ。その為かグロやエロといった過激な展開になりそうになりながらも、そこまでには至らないというのも特徴の一つかもしれない。
本作において、一番最初に心を鷲掴みされたのは被写体とのカメラの距離の取り方だ。会話シーンにありがちな切り返しのショットは絶妙な引いた位置にカメラが配置されている為に、不穏さとイジュンの世界への無関心さが表現していたり、死体やスマホの視点としてカメラを置くことで、死体への無関心さやスマホへのかぶりつき具合等が視覚的に伝わってきたりと、そういった距離を使った演出が見事であった。

 

彼らは関係性に恋をし、関係性のために死別する

イジュンがソレのどこに惹かれたのかについては、実はあまり深く明言されない。「言葉ではなく写真を選んだところ」とイジュンがちょろっと言うものの、その前から明らかに惹かれていたし、それだけではその後の行動の推進力として説明がつかない。そこには多分関係性への執着があり、イジュンとソレが、警察と容疑者という関係性に「愛」を見出してしまったからこそなのだとわたしは感じた。その関係性が終わってしまうこと、捕まってもダメ、事件の容疑者から外れるのもダメ。その関係性は長くは続かないだろう。だからこそまるで『めまい』のように彼女を失うことで、イジュンは彼女に永遠に囚われ、彼女もまたイジュンの中にいき続けることを叶えたのだ。

一人の男が人生を潤いを取り戻しながらもドツボにハマっていく。そのことを分かりながらも引き返せない。そんな男の末路を見事に描けていたと思う。