劇場からの失踪

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『Ribbon』ゴミか芸術か 劇場映画批評第44回

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題名:『Ribbon』
製作国:日本

監督: のん監督
公開年:2022年

製作年:2021年

 

目次

 

あらすじ

コロナ禍の2020年。
いつかが通う美術大学でも、その影響は例外なく、
卒業制作展が中止となった。

悲しむ間もなく、作品を持ち帰ることになったいつか。
いろいろな感情が渦巻いて、何も手につかない。
心配してくれる父・母とも、衝突してしまう。
妹のまいもコロナに過剰反応。
普段は冷静な親友の平井もイライラを募らせている。

こんなことではいけない。
絵を描くことに夢中になったきっかけをくれた友人との再会、
平井との本音の衝突により、心が動く。
未来をこじ開けられるのは、自分しかいない―。

誰もが苦しんだ2020年―。
心に光が差す青春ストーリー

引用元:

www.ribbon-movie.com

 

今回紹介するのは、のん が脚本監督主演を務めた初の劇場長編作品「Ribbon」である。2020年、誰もがコロナ禍によって日常を奪われた年、学生たちにとっては特に苦難の年だったはずだ。就職への影響や卒業にまつわる諸事情、また入学したにも関わらず学校にいけないなど、普通だったら享受できたはずのことが何一つ思い通りにいかない。本作の主人公「浅川いつか」もそんな学生たちの一人であり、、卒業制作展が中止となってしまい、苦境に立たされることとなる。あの年を生きた学生たち、そして芸術を愛する者たちに向けて作られた本作、早速語っていきたい。

 

ゴミじゃない

本作は「のん」が脚本監督主演を務めた作品で、そのためか稚拙な部分が多々見られる。最初に感じられるのは「のん」の独特な演技とどこかぎこちない会話シーンだろう。特にバス停での会話は少し冗長で、説明的で苦しいものがあった。後半に行くにつれて慣れていくというか、「のん」の持つ独特な魅力に引き込まれていくわけだが、ただ、そういった序盤の稚拙さすらも覆すほどに、本作は「芸術の価値」についてストレートに向き合った作品になっている。

2020年のコロナ禍の中で、多くの芸術の場が中止にされ、そして消えていった。映画館も営業停止となり、小さな映画館は閉館を余儀なくされた。それは美大生という一個人においても同様で卒業制作展が中止になり、作品を処分しなければならない人が多く生まれ、なんとか持ち帰ることができた浅川いつかも、発表の場を失うこととなる。

コロナ禍において、芸術は不要不急のものとして扱われ、蔑ろにされたのは団体から一個人までそれは変わらず、「芸術の価値」についてここまで深く考えさせられた年もないのではないだろうか。、「We need culture」運動など行われ、状況に抗う姿も散見され、本作もまたそんな状況に「ゴミじゃない」と強く突き立て、芸術の価値を知らしめようとする作品になっている。

芸術は観る人がいることによって初めて完成する。それは裏を返せば、受け取り手の認識次第で、ゴミにも芸術にもなってしまうということで作中で浅川いつかの母に絵を捨てられてしまったのも端的にそのことを表しているエピソードだ。浅川いつかはそのことに悩み、芸術とは何なのかについて考えるのだ。

そんな彼女の苦悩を可視化させるように「Ribbon」は登場する。劇中で「重い」という言葉と共に何度も彼女の周りを漂う「Ribbon」。一見すると軽やかに漂うそれは、彼女にとって重くのしかかっていく。「Ribbon」は彼女と芸術を繋ぐものとして表象され、彼女の想像力を体現するようでありながら、苦悩の種でもある。そういった表象への印象の変化がこの物語に深みを与えていた。

この映画のラストでは廃材アートのような作品が登場し、ついに「芸術の価値」は示される。一見ゴミにも思えるもの、作者ですらゴミだと思えるものは誰かにとっては、芸術で、価値があるのだ。芸術の多様さを讃え、そして今尚、風前の灯に立たされる芸術とそれを志す者達の背中を押す作品としてしっかり仕上がっていたと思う。

 

切実さが足りない

本作はある意味、コロナ禍を経験したからこそ生まれた作品であり、コロナ禍だからこその展開やユーモラスさを表現していた。ただ、そこに些か不自然さがあり、ノイズになっていたように思う。例えばソーシャルディスタンスの異様な取り方や極端な厚木、「さすまた」なんてのも登場してくる。それらのユーモアは確かにコロナ禍において見られた光景でもあっただろうが、少し強調がすぎるように思う。そのリアルさとかけ離れたコロナ禍表現は本作のリアリティーラインを引き下げてしまう。またラストにおいて、内定取り消しや退学の危機をカタルシス優先で蔑ろにするのもそれを助長している。本作はリアリティーラインについては、もっと切実に扱うべきだった。個人的に好きだが、どうしてもそういった茶化すような演出が、ノイズになっていた感は否めない。