劇場からの失踪

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『激怒』貯めたフラストレーションは全て噴き出すのか 劇場映画批評84回

題名:『激怒』
製作国:日本

監督:高橋ヨシキ監督

脚本:高橋ヨシキ

音楽:中原昌也 渡邊琢磨

撮影:高岡ヒロオ

美術:須坂文昭
公開年:2022年

製作年:2022年

 

目次

 

あらすじ

激怒すると見境なく暴力を振るってしまう悪癖を持つ刑事・深間は、度重なる不祥事により、海外の医療機関で怒りを抑える治療を受けることに。数年後、治療半ばで日本に呼び戻された彼は、街の雰囲気が以前とは一変していることに気づく。行きつけだった猥雑な店はなくなり、飲み仲間や面倒を見ていた不良たちの姿もない。そして町内会の自警団が「安全・安心」のスローガンを掲げて高圧的なパトロールを繰り返していた。やがて、深間の中にずっと眠っていた怒りの感情がよみがえる。

引用元:

eiga.com

※以降ネタバレあり

今回紹介するのは、映画好きにはお馴染みの映画ライター高橋ヨシキの初監督作品。

旧友である川瀬陽太を主演に、遠くない現実と地続きなディストピア世界に「怒り」を噴き出す物語となっている。高橋ヨシキらしいテーマ設定、ジャンルムービー感が魅力の作品だ。では早速語っていこう。

高橋ヨシキという映画

多少高橋ヨシキという人について,彼の出ているYoutubeやラジオを通して知っていると映画の至る所に彼のこれまで言い放ってきた考え方、生き様等が反映されていて、なんだか「高橋ヨシキ」そのものを見ているように錯覚する。(赤色の髪の青年やタトゥーみたいな視覚情報もその現象を加速させる)
つまり『激怒』とは高橋ヨシキが感じる怒りそのものであるということ。
本作は確固として提示するのは、弱者や除け者を"まとも"や常識という言葉で排斥して、「安心安全」を築こうとする社会への警鐘、いや警鐘じゃ足りないのだから「激怒」するのだ。

暴力を振るうことに自省的にもなれる存在

主人公は川瀬陽太演じる深間という刑事である。彼の人物造形が本作において重要かつ力の入っている部分で、彼の中にある簡単に言えば「良いこと」と「悪いこと」のボーダーラインがしっかりとあるのが素晴らしい。
深間はいわゆる暴力刑事だ。暴力を以てして犯罪者に鉄槌を下す彼は法律に縛られず、彼の良心にしたがって行動する。だから彼は、警官ながらもクスリをやっている青年には優しく、身内の女性を侮辱する者は殺すまで殴る。
前時代的な警察というとそれっぽいが、彼からは女性蔑視の視線や差別的なニュアンスは除かれており、意識的に線引きした彼のボーダーラインなのだ。

そんな彼はいつもの傍若無人な行動で犯人を捕まえようするが、誤って犯人の母親を事故で殺してしまう。
事件をきっかけに彼は3年間アメリカの矯正施設に送られることになるのだが、彼は何故ここで「怒り」を抑えて従ったのかというと、それは自らの犯した罪である「何も知らずに暴力を振るい、引きこもりを引きずりだし、挙句にその母親を殺してしまったこと」に自覚的だからこそだろう。
つまりここに自分と自分以外に、平等に引かれるボーダーラインがあり、暴力的である一方でその暴力を振るうことに自省的にもなれる存在としての深間が描かれているのだ。この前提があるからこそ、この物語で一度は暴力を捨てようと考えた男が「お前らを殺す」と暴力を解放する、「怒り」を解放する様にカタルシスを感じる。

 

不満点

深間がNYから帰ってきてから富士見市のシーンでのフラストレーションの貯め方は見事で、本作のどんな暴力描写よりも目を覆いたくなる。露骨なまで女性蔑視と弱者への暴力と『1984』や『華氏451』の影響を感じるディストピア描写も相まって、深間が最も嫌悪するだろう終末世界が描かれ、準備万端という感じだ。

そこから深間が「激怒」に至るまでが、少し物足りない感は否めず、そこには低予算故のルックの貧乏感が関与している気もしなくもない。なんで所長の衣装がコスプレチックな白制服なのかとか、少しやりすぎな気もする悪代官の宴会場とか諸々。CGは言っても仕方ないし、流血描写をCGにするのも高橋ヨシキ監督からしても不本意なはずなのでこれ以上言及はしない。


クライマックス、まさに「激怒」であるシーンも「狭い扉」という状況設定によって、順番にぶち殺す展開になる必然が用意されるが、なんだか冗長な感じになっている。
冒頭の引きこもりの部屋と共通してイルミネーションが飾られていることからも分かるように、冒頭の引きこもり側に立つことが大切であるわけで、「部屋」にいることは大切なのだろう。
ただ私はもっと夜を徘徊する町内会と襲われる姿を再び見て、吹き出すように出てくる「怒り」が観たかった。夜を我がもの顔で歩く奴らに恐怖を味合わせるシーンが観たかった。
受動的に立ち振る舞う、またやられる側に立つことは善側(正しい側)にいることを分かりやすくしてくれる。そういった意図もあるのは分かるが、自分はもっとジェイソンやマイケル・マイヤーズのように殺し回る深間が観たかった。

 

総評

総評としては楽しく見れたが、この映画が貯めてくれたフラストレーションを全てカタルシスに変換してくれる作品ではなかった。