劇場からの失踪-映画批評ブログ

映画をこよなく愛するArchによる映画批評

『遠い空の向こうに』-夢を抱く人間は空を見上げる-

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夜、空を見上げたことはあるだろうか。

都会の空ならば、点々とした光が、田舎ならば満天の光がそこにはあっただろう。空にある光が実は星ではなく、人工衛星だなんてことは身に覚えがあるだろう。

「なんだ、人工衛星か」

と落胆することだろう。

しかし、1957年10月の空では違った。
初めて人工の光が宇宙に打ち上げられたとき、その空に輝く光は1人の少年の人生を大きく変えたのだった。
これは真実に基づく物語である。

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あらすじ

50年代、冷戦下のアメリカ。田舎町コールウッドという炭鉱業を生業とする寂れた町で暮らす少年達がいた。
 プレスリーの「監獄ロック」がラジオから流れ、ボロ車を走らせながら惰性で毎日を過ごす。炭鉱夫になり、石炭を掘る人生しか選択肢のない主人公ホーマーはこの町で腐っていた。しかし彼の人生はある出来事を機に変わるのだった。

あるニュースが流れる。ロシアがロケットで人工衛星を軌道上に打ち上げることに成功したのだ。
冷戦真っ只中の世間は異様な熱と緊張感に包まれ、コールウッドの空からも見えるその人工衛星の光を見ようと夜空を見上げるのだった。
その中にホーマーも居た。彼は空を見上げその光を見たとき、彼の心は宇宙に囚われる。

人工衛星を打ち上げたロケットに憧れるようになった彼はいつもの腐れ縁達とロケット好きなクラスのオタクを引き込み、自分たちのロケットを作り、科学コンテスト優勝を狙うのだ。しかし、そこには父との意見の相違や田舎町の束縛、様々な問題に直面していくのだった...

 

夢を抱く人間は空を見上げる


「遠い空の向こうに」原題は「October sky」10月の空である。
真実に基づく物語であり、作中で少年4人を指していた「Rocket boy」という題で原作小説も存在する。(原題は原作小説のアナグラムになっているらしい 粋で好きな演出だなぁ!)


作品の舞台設定などはスタンド・バイ・ミーに似た構成でしたね。時代も同じ50年代で4人組の友達、カインコンプレックスを抱える主人公、線路を歩くシーンのもそれ。
ラジオから流れる曲もスタンド・バイ・ミーのサントラにも入ってる曲でした。
事実に基づくといえど、多少は意識されていそう。

 

孤独な田舎町コールウッドに住む少年ホーマーはその人工衛星の光に世界との繋がりを感じる。誰もが同じようにその人工衛星を見たことでしょう。世界の人々が同じものを見ているという事実が少年にそう感じさせたのです。例えそれの人工衛星が冷戦にとっての刺激物であったとしても、田舎の少年の目には希望の光に映ったはずです。
作中ホーマーは事あるごとに空を見上げました。星を見るとき、ロケットを打ち上げるときなど、空を見上げる姿は「ガタカ」のヴィンセントがロケットを見上げるシーンに通ずるものがありました。

その見上げる姿は”人は希望や夢を抱く時、必ず空を見上げるものなのだ”と、我々に気づかせてくれるのです。


そこからの彼らのロケットを作っていく流れは見応えがありました。トライ&エラーを繰り返す彼らは腐ってた頃とは比べるまでもなく輝いていました。
それを見守る大人の存在。彼らの最初の理解者足るライリー先生、母親、炭鉱のおじさんや街の皆、最後には頑なに炭鉱を継がせようとしていた父親。

その存在が彼らを夢の実現に導いたのです。

旧世代的な大人世代と対決構造は確かに描かれてはいましたが、大人の支えがあるからこそ子供は夢中で夢を追うことが出来るのだと感じさせられました。

特にライリー先生の

誰にも何も証明する必要はないのよ

という台詞。これを言ってくれる大人がいれば救われた人は自分含めて少なからずいるはずです。

 

この町と人工衛星の光が1人の人生を変え、本当にNASAで宇宙にロケットを打ち上げている。胸が熱くなります。なんだか空を見上げたくなるような作品でした。次見る夜空は違って見えるかもしれません。