劇場からの失踪

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『メタモルフォーゼの縁側』変われることは幸せ、変わらないことも幸せ 劇場映画批評第59回

 

題名:『メタモルフォーゼの縁側』
製作国:日本

監督:狩山俊輔監督

脚本:岡田惠和

撮影:谷康生

美術:小池寛
公開年:2022年

製作年:2022年

 

目次

 

あらすじ

鶴谷香央理の漫画「メタモルフォーゼの縁側」を芦田愛菜と宮本信子の共演で実写映画化し、ボーイズラブ漫画を通してつながる女子高生と老婦人の交流を描いた人間ドラマ。毎晩こっそりBL漫画を楽しんでいる17歳の女子高生・うららと、夫に先立たれ孤独に暮らす75歳の老婦人・雪。ある日、うららがアルバイトする本屋に雪がやって来る。美しい表紙にひかれてBL漫画を手に取った雪は、初めてのぞく世界に驚きつつも、男の子たちが繰り広げる恋物語に魅了される。BL漫画の話題で意気投合したうららと雪は、雪の家の縁側で一緒に漫画を読んでは語り合うようになり、立場も年齢も超えて友情を育んでいく。

引用元:

eiga.com

※以降ネタバレあり

 

今回紹介するのは、芦田愛菜&宮本信子 主演『メタモルフォーゼの縁側』である。年の差のある二人がBLコミックという趣味を通して、交流していく様を描く物語だ。

正直、「完全に舐めてた」案件でした。本当に面白かった。「好き」を誰かと共有すること、「好き」を通して誰かと繋がること、そして「好き」を通して何かを形作ろうとすること。その全ての素晴らしさが詰まっている。

それでは早速語っていこう。

 

個と個のエンパワーメント

本作を観た私は、感情がグルッグルに掻き回された。

市野井雪さん(宮本信子)が不意に「好き」に出会ってしまった初期衝動や、佐山うらら(芦田愛菜)が同じ「好き」を持つ同志を見つけてしまったときの興奮と自制の様子、それらに「共感」を抱かされる冒頭。

次第に初期衝動のままに邁進していく彼らの純粋な衝動に「憧憬」を感じ、いつしか創作に発展していく流れに、創作者になることは出来ないという私自身の「コンプレックス」の部分が刺激される。

そして遂には雪とうらら、二人の関係は『イン・ザ・スープ』のスティーブ・ブシュミ演じるアルドルフォとシーモア・カッセル演じるジョーの関係を思わせる(非現実的であることに目を背けてしまうほどの)理想形となっていき、ジェンダーや年齢差などの境界を越えた個と個のエンパワーメント映画となっていく。このフラットかつ丁寧な造りはBLに限らず、多くの人にとっての「好き」を代入することができる懐の大きさを持ち、自分だけでなく多くの人の感情をグルッグルにするはずだ。

 

「変わり」そして「不変」になるまでの物語

変わることを意味する「メタモルフォーゼ」というタイトルの言葉は、雪の生活の変化やうららの心境の成長を包含し、タイトルも正しくその変化が起こった「縁側」をフォーカスするが、ただ同時にこの映画はその変化の先で不変となった事物こそ尊く描き出す。つまりそれは、雪とうららの友情である。

「遠くから来た人」という同人誌はまさしく彼女の人生を変えただろう出会いに基づく話だが、その同人誌を観客に読ませる(雪さんに読ませる)という行為は「出会い」の終わりを意味する。そして出会いを自覚してしまうことは、つまり「さよなら」へと向かっていく他ないことを意味する。更に幼なじみの河村紡が彼女と「別れ」てしまうのもジェンダー的な要素を徹底的に排除した本作において、雪とうららの関係性と並置されるため、嫌な予感に繋がるのだ。

しかし予感も無視するかのように、二人は変わらぬ友情を「縁側」で感じている。別れの予感の中だからこそ先程述べた雪とうららの友情の不変さが際立ち、観客は彼らの不変の関係性に安堵し多幸感を感じるのだ。

 

嫌な奴がいない

この大まかな流れの中で見事に演出したことが次に素晴らしいところ。一言で言えば「嫌な奴がいない」を成功させたという点で凄いと感じた。これは言い換えれば人物相関の配慮の見事さなのだが、それらは細やかな演出によって成り立つ。
例えば本屋で雪に力説するうららの一見ダイジェストのようなテンポのシーンで、鈴木亮平?のにこやかな一瞥を入れることは、彼らの行為を肯定する世界を成立させる手助けになっている。またそこに付随して性別や年齢差を感じさせない台詞回しや心理描写も素晴らしいものだと言える。
他にも細かな演出が生きていて、同人誌即売会で電話を無視するシーンで一瞬だけ時間を見せる事で、どれだけの時間が経ち、後戻りできないのかを悟らせたり、あえて別の本屋でBL本を買う仕草なんかも見事だ。
そういった巧みな演出があることで雪とうららの「変わり」そして「不変」になるまでの物語が、完成するのだ。

 

終わりに

見終わった後で知ったのは、本作の監督は『青くて痛くて脆い』の狩山俊輔ということで全て納得した。「人はプリズムのように多角的に描く」手腕は前作に続き、圧巻でした。