劇場からの失踪

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『女神の継承』人を救うためには何ら機能しない 劇場映画批評第71回

題名:『女神の継承』
製作国:タイ,韓国

監督:バンジョン・ピサンタナクーン監督

脚本:バンジョン・ピサンタナクーン

音楽:Chatchai Pongprapaphan    

撮影:Naruphol Chokanapitak

美術:Akadech Kaewkot    
公開年:2022年

製作年:2021年

 

目次

 

あらすじ

イ東北部の村で脈々と受け継がれてきた祈祷師一族の血を継ぐミンは、原因不明の体調不良に見舞われ、まるで人格が変わったように凶暴な言動を繰り返すようになってしまう。途方に暮れた母は、祈祷師である妹のニムに助けを求める。ミンを救うため、ニムは祈祷をおこなうが、ミンにとり憑いていたのは想像をはるかに超えた強大な存在だった。

引用元:

eiga.com

※以降ネタバレあり

今回紹介するのは『チェイサー』『コクソン』といった作品で製作,プロデューサーを務めたナ・ホンジンが手掛ける『女神の継承』である。『コクソン』の祈祷師・イルグァンをモチーフに幾段もパワーアップしたのが衝撃作が本作である。では早速語っていこう。

 

人を救うためには何ら機能しない

『コクソン』や『エクソシスト』といった憑依ものの中でも、圧倒的絶望感が本作にはある。

宗教よりもっと根源的な領域にいる精霊という概念を信じるタイ東北部イサーンの民。そこではバヤンという女神を代々霊媒してきた家系があった。
そんな一族に密着して取材を行う体のモキュメンタリー形式で本作は進んでいく。この取材は主にニムという女性を被写体にしていくが、次第に判明するのは、姉との「女神バヤンの継承」に関する軋轢や姉の娘であるミンの異変。まるで御伽噺のように精霊や祈祷を扱っていた前半は、それらの「異常」を発端にして想像だにしない状況へとなだれ込んでいく。

本作の極めて恐ろしいのは人智を超えた存在を認めざるを得ない状況の中で、一切それが救いとして機能しないことにある。
女神バヤンの継承の話が話の中心に据えられながらも、一向にミンは救われない。ミンに取り憑く存在を通して、「見えざる何か」はそこにいるはずなのに、人を救うためには何ら機能しないのだ。
ニムや仲間の祈祷師が登場しながらも、物語は一切好転せず、最後には完全に全てが折れてしまう。

恐怖とは人の尊厳が脅かされ、信念が折れてしまう瞬間にこそ画面に表層するといえるだろう。人が窮地にたたされ、救いを求めようと「信じるもの」に縋る。しかしその縋ったものすら簡単に消えてしまう。人が理性を失う様や何かに取り憑かれ、そこに体はあるにも関わらず、「人」ではないのだと分からせられる感覚。それらこそがまさに真の絶望だといえるのではないか。

モキュメンタリーという形式でリアリティーラインを定義し、カメラというある意味、限られた視点によって「いない」という状況をサスペンスとして演出する。
『来る』のようなデウス・エクス・マキナとなる祈祷師が存在せず、唯一の頼りだったニムも"ラムタイ"してしまう。そして何よりラストのインタビューが決定的な絶望へと誘う。

平和だった世界が跡形もなく壊れるさまが何よりも恐ろしい作品であった。