劇場からの失踪

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『グッドバイ、バッドマガジンズ』エロ雑誌は毛嫌いされるのにSEXはみんな好きですよね?劇場映画批評104回 

題名:『グッドバイ、バッドマガジンズ』
製作国:日本

監督:横山翔一監督

脚本:横山翔一 山本健介 宮嶋信光

音楽:Makoto Okazaki

撮影:佐藤直紀

美術:柴田正太郎
公開年:2023年

製作年:2022年

 

目次

 

あらすじ

志望していた女性誌とは正反対の男性向け成人雑誌の編集に配属されてしまった女性。ひと癖もふた癖もある編集者やライター、営業担当者たちに囲まれながら一人前の編集者として成長していくが、物語は思わぬ方向へと転がっていく。性的メディアに従事する多くの関係者に取材を行い、電子出版の台頭による出版不況、東京オリンピック開催決定に伴うコンビニエンスストアからの成人雑誌撤去、新型コロナウイルス感染拡大の影響など、激動の時代を生きる人々の苦悩と葛藤を描き出す。

引用元:

eiga.com

※以降ネタバレあり

 

衰退は止められない

東京オリンピックの開催と共に海外向けの面子の為に、コンビニから消えることとなった男性向け成人雑誌。元から斜陽産業だった雑誌の中で、"エロのデジタル化"が進み、更にオワコン化が激化していた成人雑誌には、それはトドメであった
本作はそんな成人雑誌の部署に配属された新卒女性が変革をもたらし奮闘する…というよくありそうな話にはならず、その世界に慣れきってしまい、その衰退の一途を辿る業界の結末を当事者として受け入れていく話になっている。
これは事実に基づいた話であり、現実的にそれを打開する方法が発見されてないが故に、雑誌の廃刊は逃れられぬ結末であるのだが、それはそこで働く人々全員の暗黙の共通認識としてあることなのだ。その諦めと微力ながら足掻こうとする様が、微妙な道徳観の中で描かれていて見事だった。

 

①斜陽産業の最後辿る話

最初は新人編集者のエロ業界のルール、エロ業界の実態に触れて面食らい、「エロ」とは何なのかを模索する話になっていく。女性が男性向け成人雑誌に!?という本作に期待されるだろう部分は、この冒頭の方に詰まっていて、彼女がアダルトグッズやエロ用語に面食らっていく様は、「知らない世界に新人が迷い込む系」作品の醍醐味が詰まっていて面白い。
アダルト業界は持ちつ持たれつと言いながら、AV業界の映像が卸されている業界の構造、雑誌というよりもAVの紙包装に成り果てている実態が細かいディティールで描かれていて見応えがある。
ただ彼女が実際に慣れていく過程はきっかけの描写に留まり、実際の中身は省略されてすっかり子慣れてしまった彼女まで時間が飛ばされる。すっかり淫語を発することも慣れてしまった様子。

予想していた前半の展開から一転、後半は「エロとは?」という命題なら離れ、①斜陽産業の最後辿る話②「SEX」ってなんだよ!という話になっていく。

彼女は「雑誌のエロ=彼女の慣れたエロ」と「SEX」の違いに気づき始める、詳しく言えば、エロ雑誌という公序良俗に反するものとされてきたもののエロは、世の中で疎まれ廃れていくのに、人々は当たり前のようにSEXを貪っているという矛盾に気づき始めるのだ。

主題である斜陽産業がどう終わりを迎えるのかについては、前半で立ち上げた連載企画や看板雑誌の廃刊など、一切希望を感じさせない展開になっている。大抵前半で出した案が起爆剤になったりするのに、あまりに現実的に描かれているが故に、そんなことは起こりえない。独立した人も自殺してしまい、この会社というより雑誌業界全体が死にかけているのが伝わってくるし、業界や媒体の限界が伝わってくる。


編集者の人たちも限界を迎えている訳だが、編集部ではなく営業部の菊池豪演じる渡奴誠二も総務と編集部の合間で完全に擦り切れてしまう様が一番苦しかった。ただ、一方でエロ雑誌が必要とされる実態も垣間見える。自分は遠洋漁業の漁師にとってエロ雑誌が重宝されていることを初めて知った。
エロ雑誌に限らず、特定の少数に向けたコンテンツの衰退消滅は急激に進む。資本主義なので、少数に向けた低価格のコンテンツは利益がないのは当然なのだが、それでも都市中心的な経済の構造がここに垣間見えた気がした。
本作のそういったディティールの細さは見応えのある部分だろう。

②「SEX」ってなんだよ!

ある意味、終わりに向かっていく感覚は日常化してただのプロセスになり果てた末に、森は向井とハルの不倫を知る。
何故人は「SEX」するのか。両者とも尊敬のできる存在なのになぜそんな不誠実な行為に至ったのか、とでも森は考えていたのではないだろうか?特にここで彼女にとっての「エロ=雑誌」の構図によって「エロ=社会で不必要とされ衰退している」という感覚が芽生え始めていたのではないかと思った。

だからこそ廃れていくはずのエロが「SEX」という行為になった時、何故嫌なのかという問に行き着くのだろう。そこに向井の妻の「子供欲しい願望」とか「事務的なSEXポエム」だとかが混ざり合い、森の中でぐるぐるしていく。

それが彼女の原動力となり、終わりゆく雑誌業界にまだ返り咲いていくという終わりを迎える。

この結末は正直無理のある感じはした。特にラストの向井の奥さんを狂人として描くのはどうかと思う。もっと別のやり方で向井を処して欲しかった。

 

最後に

こんな感じで長々書いたが、知らない業界を確かなディティールで描き出したこと、そしてそれがほんの数年前に消え失せたコンテンツの話であるということで、着眼点、やり方共に見事かつ、フィクションとして森の成長葛藤も文句なしにドラマを楽しませてもらった。