劇場からの失踪

映画をこよなく愛するArch(Ludovika)による映画批評 Twitterもあるよ @Arch_Stanton23

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『フェイブルマンズ』映画の暴力性 劇場映画批評119回

題名:『フェイブルマンズ』
製作国:アメリカ

監督:スティーブン・スピルバーグ監督

脚本:スティーブン・スピルバーグ トニー・クシュナー

音楽:ジョン・ウィリアムズ

撮影:ヤヌス・カミンスキー

美術:リック・カーター
公開年:2023年

製作年:2022年

 

 

目次

 

あらすじ

初めて映画館を訪れて以来、映画に夢中になった少年サミー・フェイブルマンは、母親から8ミリカメラをプレゼントされる。家族や仲間たちと過ごす日々のなか、人生の一瞬一瞬を探求し、夢を追い求めていくサミー。母親はそんな彼の夢を支えてくれるが、父親はその夢を単なる趣味としか見なさない。サミーはそんな両親の間で葛藤しながら、さまざまな人々との出会いを通じて成長していく。

引用元:

eiga.com

※以降ネタバレあり

 

大傑作。

最近特に「映画に関する映画」というのが続けて公開されている。それについては『エンパイア・オブ・ライト』のレビューで簡単に整理したので割愛するが、

本作はそれらの作品と完全に異質なことをやっていて、明らかに異常だ。

www.arch-movie.com

 

「始まり」

そもそもとして「映画って素晴らしい!」みたいな生半可な感覚で作られておらず、常軌を逸した解像度で映画の"破壊力"を知らしめることを目的にしているかとすら思える。
映画に魅入られた人が、映画という芸術に心を引き裂かれながらも「映画」に生きるしかない運命を受け入れていく、まさにスピルバーグの自伝に相応しい内容であるのだ。

その生半可ではない姿勢や覚悟は、"映画"との向き合い方や立ち位置に表れていて、それは「映画に関する映画」で必ずと言っていいほど描かれる「映画を観るシーン」をどこに置くかで端的に表れている。
『バビロン』や『エンパイア・オブ・ライト』などが、その「映画と映画に魅入られる自分」を「ラスト」に感動的に描き出すのに対して、本作はその構図を「冒頭」に描く。
「映画と映画に魅入られる自分」という構図を序盤に描くことで、サムにとって映画鑑賞はきっかけに過ぎず、「映画製作」そのものにフォーカスしているのだ。ラストが映画鑑賞のシーンではなくジョン・フォードの激励であるあたり、あくまで造り手(供給側)として、スピルバーグという偉大な映画作家として物語を語るのだという徹底したスタンスが感じられる。

またその「映画と映画に魅入られる自分」はただ感動的なものとして描かれるのではなく、全ての「始まり」として機能しているのが興味深い。それは映画監督となる人生の「始まり」であり、そして家族崩壊への「始まり」。映画との素晴らしき出会いであり、人を容易に傷つけうる映画の暴力性に触れるきっかけや家族に亀裂を入れるきっかけであるというGift and Curseの「始まり」になっているのだ。

幼いサムが"衝突"に魅入られていて、それを繰り返し再現するという行為に帯びる"やましさ"、一方でその再現するという行為が、映画を撮るという行為に無自覚な上で自然と「=撮影する」という行為に行き着き、その手の平に映画を"掴む"という描写が素晴らしい。まさに祝福と呪いの両方を描いているのだ。

また個人的には映画を見て、映画という媒体の素晴らしさではなく、そこに映る「衝突」に魅入られるという視座に行き着くのは実は難しいことなのではないかと思っている。それは幼少期の実体験に基づいているからこそなのだろうが、そこにも映画という媒体ではなく、映画に潜在する「現実(人生)を変えうる力」に本作が興味を示していることが伝わってくる。

 


「映画の暴力性」

映画の暴力性とはつまり「目を覆いたくなるような現実」や「現実に起こりえない嘘」を等しく「真実」として映してしまう力ではないだろうか?
「目を覆いたくなるような現実」が最も効果的に表れているのは、キャンプ映画内のミッツィーとベニーの下りだろう。撮っているときに気づくのではなく、編集している時に気づくのが、カメラの範囲内であれば全てを等しく記録してしまう恐ろしさを感じさせられた。また「現実に起こりえない嘘」については高校でのプロムで流された映像が、人の印象を製作者の忖度次第で変えられてしまうという恐ろしさが表れている。ただどちらにも共通して感じたのは、造り手の絶対的な力とその責任。編集という行為の功罪という話でもあるのだろう。
映画は武器にもなりうるとでも言わんばかりのその"力"の描き方に、こちらは平伏せざるを得ないのだ。

これだけ「映画」の話でありながら、非常にパーソナルなスピルバーグ本人の家族の話になっていることも素晴らしい。家族と芸術の両立、そして血は争えないという話であり、ピーターパンそのものである母や父への複雑な愛情。
最後に水平線を"下"にしたリスペクト溢れるラスト、本当に見事だった。