劇場からの失踪

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『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』劇場映画批評120回  今の人生を受け入れる

題名:『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』
製作国:アメリカ

監督:ダニエル・クワン ダニエル・シャイナート監督

脚本:ダニエル・クワン ダニエル・シャイナート

音楽:サン・ラックス

撮影:ラーキン・サイプル

美術:ジェイソン・キスバーデイ
公開年:年

製作年:年

 

目次

 

あらすじ

経営するコインランドリーは破産寸前で、ボケているのに頑固な父親と、いつまでも反抗期が終わらない娘、優しいだけで頼りにならない夫に囲まれ、頭の痛い問題だらけのエヴリン。いっぱいっぱいの日々を送る彼女の前に、突如として「別の宇宙(ユニバース)から来た」という夫のウェイモンドが現れる。混乱するエヴリンに、「全宇宙にカオスをもたらす強大な悪を倒せるのは君だけだ」と驚きの使命を背負わせるウェイモンド。そんな“別の宇宙の夫”に言われるがまま、ワケも分からずマルチバース(並行世界)に飛び込んだ彼女は、カンフーマスターばりの身体能力を手に入れ、全人類の命運をかけた戦いに身を投じることになる。

引用元:

エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス : 作品情報 - 映画.com

※以降ネタバレあり

 

 

大傑作。本当に大好き。


1回の観賞じゃ絶対飲み込みきれない情報量。場面毎のテンションのアップダウンも激しくて、感情の浮き沈みがどう組み立てられているかも1回じゃ飲み込めない。それ故にか、シンプルでストレート結論やド派手な映像表現のみが心に焼き付き、鑑賞後にどんな作品だったのかを意外にもちゃんと認識するのが難しい作品である。
2回目の観賞でようやく序盤に張り巡らされた後半への"予感"に気づけたり、マルチバース設定等の理解にキャパを割かずに観れたため、色々なことが整理されて把握出来た。
詳しく書いていく。

 

彼らのスタイル

本作は『スイスアーミーマン』でその知名度を一気に挙げたダニエルズという監督コンビの最新作である。『スイスアーミーマン』やその他の諸短編においても一貫してあるのが、荒唐無稽なビジュアルとシチュエーションで、すごくシンプルで共感を呼ぶストーリーを描くこと。その荒唐無稽な映像表現と愚直なメッセージ性が与える独特なエモーションは唯一無二のもので、自分は前作からゾッコンだった。
彼らの短編を何本か拝見すると本作が『PUPPETS』や『Possibilia』の延長線上にある作品であることが分かる。上記短編は"自分とは違う自分"や"有り得たかもしれない自分"といった本作との共通した題材を扱った作品であり、本作の扱ったマルチバースとそれによって描かれるテーマは以前から描いてきたものであり、彼らの好む映像スタイルかつテーマなのだと分かる。

 

映像の面白さ

本作はマルチバースを行き来する力を手に入れたおばさんが別平行世界の"自分"の持つ力を行使して闘うという話になっている。まず度肝を抜かれるのがその映像の面白さだろう。
マルチバースを精神的かつ肉体的に移動したり、ショットの切り替えによるマルチバースがスイッチする場面の数々、そういった展開のスピード感が一つの見どころだが、加えてそのスピード感に順応するハイスピードのカンフーアクションがメインに置かれることで更に"加速"され、劇伴の力も借り近年稀に見るハイスピードな映画だという印象がある。(それ故に"石"の静止された世界が際立ち、屈指のシーンになるのだ)

矢継ぎ早に沢山の要素が展開されて、それらがしっかり一つの脈で繋がっている。それを可能にするモンタージュの基本原理であるカットの連なり。とにかくそのカットの連なりから生まれるイマジネーションを駆使するという基本的なスタイルがバッチリ決まっていて、それだけで格の違いを感じさせるのだ。


設定について

SFやホラーといったジャンル映画に出てくる特異な設定は、現実に互換できるような設定であることが多い。ゾンビや吸血鬼、SFだとマトリックスの設定や時間遡行なんかも現実との互換性あるメタファーとして機能する。
その中でマルチバースという設定は「全ての人に可能性が開かれている」という強いメッセージになりうる。人生は選択の連続、だからこそ選択しなかった道に思いを馳せる。それは誰しもが、どんな自分にもなれることの肯定だし、そのために最善を選ぶ人生を送るべきという人生賛歌でもある。そのうえで本作は、あらゆる可能性を踏まえた上で、今のこの人生を受け入れるという話に着地する。相対化したからだけではなく、諦めからくるというものでもないのだ。そこに本作の良さがある。

 

最後に

この記事は歯切れの悪いものになっているだろう。正直にいって、この映画の面白さを言語化することは自分には出来なかった。シンプルに楽しい!という感情が勝り、理性的に要素を分解したりできなかったのだ。

また見るときがあれば、追記したい。