劇場からの失踪

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『コンパートメントNo.6』その列車はタイタニックの真逆へ進む 劇場映画批評112回 

題名:『コンパートメントNo.6』
製作国:フィンランド・ロシア・エストニア・ドイツ合作

監督:ユホ・クオスマネン監督

脚本:アンドニス・フェルドマニス リビア・ウルマン ユホ・クオスマネン

撮影:J=P・パッシ

美術:カリ・カンカーンパー
公開年:2023年

製作年:2021年

 

 

目次

 

あらすじ

1990年代のモスクワ。フィンランドからの留学生ラウラは恋人と一緒に世界最北端駅ムルマンスクのペトログリフ(岩面彫刻)を見に行く予定だったが、恋人に突然断られ1人で出発することに。寝台列車の6号客室に乗り合わせたのはロシア人の炭鉱労働者リョーハで、ラウラは彼の粗野な言動や失礼な態度にうんざりする。しかし長い旅を続ける中で、2人は互いの不器用な優しさや魅力に気づき始める。

引用元:

eiga.com

※以降ネタバレあり

 

『タイタニック』の真逆

『タイタニック』見た事ある?という作中での言及がされたとき、本作は『タイタニック』の真逆の作劇を行っているのだと気づいた。

二作品には共通点がある。基本的には乗り物に乗っている時間がほとんどであり、初対面の男女が関係を深めていくという話になっている等。
ただあまりに違う。『タイタニック』が船の沈没という一大スペクタクルの中で強烈に惹かれあい、死と共に永遠の恋愛として完成したのに対し、本作の二人に事故は起こらず、二人の関係が恋愛として成就しないことは冒頭で同性愛者であることを示すことで完全に否定される。
本作は2人の仲を深める過程においてハプニングを用意しない。ラウラは飛び降りようとしないし、リョーハはちゃんとろくでもない。そもそもとして2人は『タイタニック』的な理想の美男美女でもない。(これは完全に主観)
そういったあらゆる点で『タイタニック』の真逆を行くのだ。
そんな歴代興行収入BEST3級作品の真逆の語り口の物語は明らかに意識されている。であれば、いわゆる映画らしい一大事件は起こらず、冴えない目的地に結局至れもしないという話で何が描かれるのだろう。

冒頭の何気ないシーンではラウラの表面化しない苦悩が描かれる。主人公のラウラはニュージランドからロシアに出てきた女性であり、レズビアンである。彼女はパーティーに参加しており、パートナーのイリーナに色々な人に紹介される。しかしそこでは交際相手ではなく、友人としてしか紹介されない。友人達も薄々気づいていているが、腫れ物として「下宿人」呼ばわりするのだ。
ラウラにとって異国の地での生活と彼女とのスタンスの違いにストレスを感じ、日々すり減らしているのが分かる。
極めつけは旅行のドタキャンだ。寝台列車での北極圏への旅。会話からは何度も話を聞かされ、イリーナこそがノリノリで企画したことが分かる。ラウラもまた、その旅行に他者からの目を気にしない特別な時間を予感していたに違いない。その上でのドタキャンは想像以上のパンチだったに違いない。

そういった日常へのストレスを抱えたまま彼女は寝台列車に乗り込むが、そこには新たなストレス源であるリョーナがいる。彼の素行は度し難く、相部屋の相手としては最低。異性というとこもあり、全く気の休まらないとのになることはその時点で確定したようなものだった。
ただその出会いはラウラにとって大切な出会いとなるのだ。
彼との出会いは先程も述べたように劇的なロマンスにはならないし、非日常的なイベントの入口という訳でもない。
ただ両者は互いの「いつも」を知らないという一点が、両者にとって心地の良いものになっていく。
彼らが仲良くなるという部分に、呉越同舟的な理由以外に何もないのもいい。ただ一緒に酒飲んだから、同じ客室だったから。そのぐらいの理由付けだからこそ、「ふとした出会いが人生を晴れやかにしてくれる」という話に普遍性を与える。それは『タイタニック』のようなロミジュリ劇には出来ないこと。

『ファイトクラブ』で「一回分の友達」という表現が出てくるのだが、まさにこの旅行1回分の友達に過ぎない彼らはその目的地への不毛な過程を共有する。そのなんの得にもならない時間が如何にラウラにとって、救いとなっていたのかはラストから伝わってくるはずだ。このラストもまるで『タイタニック』との相対化を目的とするように、男が描く女性の「絵」が登場する。その絵が明らかに下手くそだ。『タイタニック』のジャックの絵には及ばない。ただそもそもとして、あの"絵"が上手い必要なんてない。
『タイタニック』のように劇的でない出会いでも人生は好転しうるのだ。それは愛してるがクソッタレになり(そして愛してるになる)、また下手くそな似顔絵が意味を持つように。その反転が逆にストレートな力を帯びさせる、そんな語り口が本当に素晴らしい作品でした。