劇場からの失踪

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『ギルバート・グレイプ』家を支える柱は折れるのか 劇場映画批評75回 [12ヶ月のシネマリレー第一弾]

題名:『ギルバート・グレイプ』
製作国:アメリカ

監督:ラッセ・ハルストレム監督

脚本:ピーター・ヘッジズ

音楽:    アラン・パーカー ビョルン・イスファルト

撮影:    スヴェン・ニクヴィスト

公開年:1994年

製作年:1993年

 


目次

 


あらすじ

アイオワ州の小さな町エンドーラ。特になにもないこの町から生まれて24年間出たことがない青年ギルバートは、ハンディキャップを抱えた弟アーニーと、身動きが取れないほど太った過食症の母、そして2人の姉妹の面倒を見ながら日々を送っている。家族を守ることに精いっぱいで自分の夢も希望も見失っていたギルバートは、ある日、トレーラーで旅をしながら暮らしている少女ベッキーと出会う。車の故障でしばらく町にとどまることになったベッキーとの交流を通して、ギルバートは自分の人生を見つめ直していく。


引用元:

eiga.com

今回紹介するのは、レオナルド・ディカプリオ×ジョニー・デップの名作『ギルバート・グレイプ』である。本作は「12ヶ月のシネマリレー」という名作の復刻上映企画の第一弾として2022年8月公開された作品である。非常に面白い企画かつ、ほとんど自分が見たことのない作品ばかりということで、是非全て鑑賞して記事にしていきたいと思っている。

では早速語っていこう。

※以降ネタバレあり

 

家を支える柱は折れるのか

知的障害を持つ弟アーニーと巨漢の母親、そして亡くなっている父、悩み事を多く抱える家族でまるで父親代わりのようにして生きる男、それがギルバート・グレイプ(ジョニー・デップ)である。
家族のために街を抜け出すことの出来ないばかりか、街を出ることを考えもせず自らの望みもなく、ただ家族の平穏の為に廃れた街で平凡に生きている。そんなギルバートの元にベッキーというノマドに近い生き方で、全国を放浪している女性に出会う…といった流れで話は進む。

この映画は一見してハートフルな家族ドラマのようでありながら、その顛末や挟まれるエピソードは非常に毒々しい。作中でメタファーとして機能している歪んで今にも崩壊しそうな家を必死に角材が支えているように、ギルバートは必死に支えている。

ディカプリオ演じるアーニーの憎めずもトラブルメイカーな素行に振り回され、また親が家族の中で機能不全を起こすばかりか外に出るなら町中の視線に晒される。そこに加えて働くお店がスーパーによって廃れていき、不利関係のゴタゴタに巻き込まれ、ベッキーとの別れは近づいてくる。そんな状況で誰も(ベッキー以外)彼を気にかけない。
そんな様子をイケメンでなんでもやってくれる優しいジョニー・デップがオブラートに包んだような演技をするために、その残酷な状況が伝わってこない。「良い人」という残酷なレッテルをはられた彼はアーニーの誕生日の前日にパンクして出ていったにも関わらず、自己嫌悪でいっぱいになって内省して終わり。何も変わらないのだ。

びっくりしたのが帰ってきて母親がギルバートに尋ねたのが、「なぜ戻ってきたのか?」といったこと。母親が聡くギルバートの心理を理解してたからこその台詞だと分かるが、そもそもとしてここで聞くべきは確信を着いた疑問点ではなく、ギルバートのメンタルケアのための質問ではないか。つまりなぜ出ていったのかを聞いてあげるべきだったと私は思う。

思えばギルバートについて我々が知っていることはあまりに少ない。彼の趣味は?夢は?ベッキーとか不倫相手とか抜きにして好きなものは?何も分からず、ただ家族に奉仕する存在は不気味ですらある。

 

ギルバートは街を出れるのか

この物語は母親の死とともに家をひとつの墓標として、家族は解呪される展開へと進んでいく。しかしそれで皆が街を出たとしてもアーニーとギルバートは街を出てはいかない。なぜならベッキーが訪れるからだ。
もしかしたらベッキーと一緒に街を出るかもしれない。
それでもこの終わり方は母の代わりにベッキーという楔を打たれ、結局街を出れなかった、というものにしか見えなかった。
ハートフルな劇伴や家族を思う気持ちで、後味は良いものの、取り扱う"家族"という呪いのテーマに関してはとことん毒々しく、情を一切感じない。

当たり前のようにアーニーをギルバートに押し付ける家族、ベッキーと一緒に街を出られなかったら彼らはどうやって生きていくのだろうか。

19歳を迎えても何も変わらないアーニーに、果たして何を感じればいいのか。ギルバートの未来もまた何を変わらないのか。

映画が終わっても、何かハートフルな劇伴が流れても、私の心はざわついたままだった。衝撃作。