劇場からの失踪

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『ファイブ・デビルズ』嗅覚が呼ぶ災厄 劇場映画批評95回

題名:『ファイブ・デビルズ』
製作国:アメリカ

監督:レア・ミシウス監督

脚本:レア・ミシウス ポール・ギローム

音楽:フロレンシア・ディ・コンシリオ

撮影:ポール・ギローム

美術:エステ・ミシウス
公開年:2022年

製作年:2021年

 

目次

 

あらすじ

香りの能力を持つ少女が母の封じられた記憶に飛び込んでいく姿を、恐ろしくも美しい映像で描き出す。嗅覚に不思議な能力を持つ少女ヴィッキーは、大好きな母ジョアンヌの香りをこっそり集めている。ある日、謎めいた叔母ジュリアが現れたことをきっかけに、ヴィッキーのさらなる能力が開花。ヴィッキーは自分が生まれる前の母と叔母の過去にタイムリープしてしまう。

引用元:

eiga.com

※以降ネタバレあり

 

説明不足

母親にまつわる匂いを嗅ぐと過去に戻ることが出来る少女が、母親の青春時代にタイムリープしていくという物語、と説明すると語弊が多分に出るのが本作である。その原因は、本作の様々な要素が故意なのか脚本の粗なのか絶妙なニュアンスでズレているからだ。
例えばタイムリープという部分。ヴィッキーは匂いを嗅ぐと気絶し、母親の若い頃を第三者視点で追体験する。幽霊のように干渉はできず、どの時間場所に現れるのかも定かじゃない。なので精神のみ過去に飛ばすタイムリープではないのだが、じゃあなんて表現すればいいのか分からない。それ故に観客も納得しづらい。他にもそもそも何を嗅いで、どこに行くのかに対して、ヴィッキーがどの程度理解してるかが不明かつ、過去で何したいのかが曖昧にしか示唆しない為、飲み込みづらい状況が続いていく。

ただそれら本作において決して欠点にならない。何故なら本作は合理性よりも"感覚"を重視する作品であり、幼く嗅覚の優れたヴィッキーにしか分からない感覚(私たちには分からない)という状況が支配的であるべき作品だからだ。タイムリープもヴィッキーを中心に据えて考えると、五感が記憶を呼び起こす現象(嗅覚が最も記憶に残りやすいらしい)が超能力的に開花された出来事だと受け止めやすい。他にも様々な点でこの説明不足で雑だとは思うが、そう考えると納得出来る。

 

確かな新しさ

また自分は、子供が自分の産まれる前の親に出会い、自分が産まれない可能性を前に自身の実在性を脅かされるという話として、よく出来ていると感じた。同性愛の恋人に限らず、自分の親が知らない人とイチャイチャして上手く行きそうな様をみるのは気分は良くないだろう。何故なら自分が生まれたのが、本当に偶然(気まぐれ)であり必然では感じるからだ。
『バックトゥーザフューチャー』なんかも思えば似たような両親の間を取り持とうと奔走する話だが、そこに「自分が産まれない可能性を感じた子供の焦燥感」をプラスしたような感じと言えるかもしれない。それはヴィッキーが幼いがゆえに、かつその(フィクションでの)タイムパラドックスに対する理解が現代において進んだからだろう。そんなこともあり、子供がタイムリープできる手段をもって、若い頃の母親に会えるとなったとき、そこにサスペンスが生まれるのは確かにと唸らされた。
そういった話を本作がしていたと気づくのも、最後に3人で湖で体を温めあったときの台詞があるからだ。
とにかく本作は、ヴィッキーの中にしかないものが大半を占め、そこから吐き出されたものを順番によって構成された作品って感じがする。
時間の縛りを抜け出し、出産前の親に干渉できる子供という概念、そのショッキングさはある意味で、子供が産まれる前から"母親"であることを矯正しているような恐ろしさがあり、確かな新しさを感じた。