劇場からの失踪

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『MEMORIA/メモリア』記憶を伝播する残響 劇場映画批評第46回

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題名:『メモリア』
製作国:コロンビア,メキシコ,フランス…

監督: アピッチャポン・ウィーラセクタン監督
公開年:2022年

製作年:2021年

 

目次

 

あらすじ

とある明け方、ジェシカは大きな爆発音で目を覚ます。それ以来、彼女は自分にしか聞こえない爆発音に悩まされるように。姉が暮らす街ボゴタに滞在するジェシカは、建設中のトンネルから発見された人骨を研究する考古学者アグネスと親しくなり、彼女に会うため発掘現場近くの町を訪れる。そこでジェシカは魚の鱗取り職人エルナンと出会い、川のほとりで思い出を語り合う。そして1日の終わりに、ジェシカは目の醒めるような感覚に襲われる。

引用元:

eiga.com

 

今回紹介するのはアピチャッポン・ウィーラセタクン監督の最新作『MEMORIA/メモリア』である。本作は初めてのタイ国外で制作された作品で、アピチャッポン監督のカンヌ4度目の受賞作品でもある。自分は初めてのアピチャッポン作品だったのだが、非常に哲学的かつ難解であったため、どこまで汲み取れていた定かではない。だが率直に感じたことをここに記していこうと思う。

 

「音」と「記憶」

冒頭、何かが爆発するような音が鳴り響き、その音で飛び起きる女性ジェシカの姿からこの映画は始まる。その「音」の出処は頭の中で、あまりに不穏なその「音」は身構えていないとき、突然頭の中で炸裂する。この現象は監督自身が患った「頭内爆発音症候群」から着想を得た設定だそうだが、この「音」はけたたましく、恐怖を感じさせながらも、どこか別のレイヤーから反響してくるような幻想的なニュアンスを併せ持つ。その音は何なのか。どこから来るのか。そんな解決しようがあるのかも分からない「音」と共に映画は進んでいく。本作は劇伴がほとんどなく、流れる音楽は劇中の演奏シーンのみ。だからこそ、劇中の環境音やその「音」がより反響している印象を受け、観客とジェシカ、そしてこの映画そのものが敏感に鋭利に研ぎ澄まされていく不思議な体験に陥っていく。

この「音」と同様に大切なのは「記憶」という要素だろう。ジェシカはその「音」が何なのかを気にしているうちに、偶然訪れた川沿いでエルナンという人物と出会う。彼と記憶について語り合う様は、非常に不可思議かつ緊張感に包まれた異質な空間になっているわけだが、次第にエルナンの「記憶」という要素と、ジェシカの頭の中に響く「音」は奇妙にも重なり合っていく。「音」の正体は、エルナンの記憶の中の「音」であり、ジェシカはその「音」をアンテナのように受信していたのだ。そしてエルナンに触れたとき、アナログレコードの針のようにエルナンの記憶を発音し始める。そのあまりに現実離れした状況を理解することはできる。だが、何故、何が起こっているかは分からない。この二人の出会いは、何かに導かれたのだろうか。そしてその「音」の意味を理解したところで、状況は変わるのだろうか。そんな不可解な領域を残しつつ、「音」と「記憶」は交錯していく。

本作には「発掘した人骨」という考古学的な要素が含まれる。まさにその土地の「記憶」だといえるそれは、「記憶」の複雑で多種多様な形態を連想させる。「音」とは物理的には空気を振動させる現象を指すが、頭の中に響く「音」は何を伝わってくるのだろうか。アピチャッポンもまた「頭内爆発音症候群」に悩まされたとき、その音がどこから来たのか、また何を振動させているのかを考えたに違いない。そして「音」の出処に想いを馳せたはずだ。

誰もが、頭の中でものを考えた体験があるはずだ。言葉にせず、頭の中で口語的にシミュレーションをするように、頭の中に「音」を響かせたことが。そしてその考えが誰かに聞かれているかもと思ったことはないだろうか。頭の中を響く「音」が意図せず、外部に送信され、誰かに受信されているのではないかという疑念。アピチャッポンは音の出処をそんな「音」だと想像したのだろう。だから本作はそんな頭の中に反響する音が、誰かに受信されていたという話である。時に頭に思い浮かべる「音」は、いかがわしい妄想なのかもしれないが、本作においてはエルナンからの「SOS」だったのではないだろうか。言葉では100%共有することが出来ないような「記憶」が「音」という形で追体験することで、彼にとって何かしらの救いになったのではないか。

しかしそんな思考も吹き飛ばすかのように、頭に響くのと同じ「音」を出しながら宇宙船が彼方へ飛び立っていく。今でもあれが本当に映画内の出来事だったのか疑っているが、他の人のレビューをチラ見する限り、夢ではなかったようだ。

ともあれ、不可解極まりない領域で、二人の男女が出会い、何かしらの整理がつけられた、というのがこの映画であり、意味不明ではあるが、謎に満たされた感覚がそこにはあった。

 

最後に

非常に美しい長回しのショットも魅力的だが、そこに映る建築物にも注目して頂きたい。最近だと『ガガーリン』などが美しく建物を収めたショットを披露していたが、本作も同様になんの変哲もないはずの大学をまるで、近未来SFの建物のように撮っていて良かった。正直この映画の半分も汲み取るに至れなかった気はしている。是非アピチャッポンの過去作を鑑賞した上で、再観賞してみたい。